源清田村
日本の茨城県稲敷郡に1949年から1955年まであった村
源清田村(げんせいだむら)とは、茨城県稲敷郡にかつて存在した村である。江戸時代から存在し、1889年4月1日に町村制施行に伴い、源清田村・手栗村・古河林村・羽子騎村・平二郎歩・布鎌町歩・猿島新田・宮淵鍋子新田の8村が合併し河内郡源清田村が発足した。1942年に長竿村と合併して一端消滅したが、7年後に分裂して再び源清田村が復活。1955年に河内村となって再び消滅した。
げんせいだむら 源清田村 | |
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廃止日 | 1955年5月3日 |
廃止理由 |
新設合併 源清田村、長竿村、生板村 → 河内村 |
現在の自治体 | 河内町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 茨城県 |
郡 | 稲敷郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 |
長竿村、新利根村、生板村 千葉県 |
源清田村役場 | |
所在地 | 茨城県稲敷郡源清田村大字源清田 |
座標 | 北緯35度53分05秒 東経140度14分40秒 / 北緯35.88475度 東経140.24453度座標: 北緯35度53分05秒 東経140度14分40秒 / 北緯35.88475度 東経140.24453度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集歴史
編集沿革
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、源清田村・手栗村・古河林村・羽子騎村・平二郎歩・布鎌町歩・猿島新田・宮淵鍋子新田が合併し河内郡源清田村が発足。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 河内郡が信太郡と合併し稲敷郡が発足。稲敷郡源清田村になる。
- 1942年(昭和17年)8月1日 - 長竿村と合併し、瑞穂村となる。
- 1949年(昭和24年)8月1日 - 瑞穂村の一部(源清田村・手栗村・羽子騎村・猿島新田・宮淵鍋子新田・古河林村・平三郎町歩・布鎌町歩)が分立し源清田村が発足。
- 1955年(昭和30年)5月3日 - 源清田村は長竿村・生板村とともに合併して河内村が発足。源清田村は消滅。
変遷表
1868年 以前 |
明治22年 4月1日 |
明治29年 4月1日 |
昭和17年 8月1日 |
昭和24年 8月1日 |
昭和30年 5月3日 |
平成8年 6月1日 |
現在 | ||
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源清田村 | 河内郡 源清田村 |
稲敷郡 発足 |
源清田村 | 瑞穂村 の一部 |
源清田村 が分立 |
河内村 | 町制 | 河内町 | |
手栗村 | |||||||||
羽子騎村 | |||||||||
猿島新田 | |||||||||
宮淵鍋子新田 | |||||||||
古河林村 | |||||||||
平三郎町歩 | |||||||||
布鎌町歩 |
人口・世帯
編集人口
編集総数 [単位: 人]
1891年(明治24年) | 2,242 |
1920年(大正 9年) | 2,151 |
1935年(昭和10年) | 2,270 |
1950年(昭和25年) | 2,778 |
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世帯
編集総数 [単位: 世帯]
1920年(大正 9年) | 405 |
1935年(昭和10年) | 423 |
1950年(昭和25年) | 466 |
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参考文献
編集- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 8 茨城県』、角川書店、1983年、ISBN 4-04-001080-9