湯本武比古
日本の教育者
湯本 武比古(ゆもと たけひこ、1856年1月8日(安政2年12月1日) - 1925年(大正14年)9月27日)は明治時代から大正時代にかけての日本の教育者。
湯本武比古 | |
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誕生 |
1856年1月8日(安政2年12月1日) 信濃国高井郡赤岩村(現・長野県中野市) |
死没 | 1925年9月27日(69歳没) |
墓地 | 多磨霊園 |
職業 | 教育者 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 東京師範学校中学師範科 |
代表作 |
『新編教育学』(1894年) 『新編教授学』(1895年) |
略歴
編集- 信濃国高井郡赤岩村(現・長野県中野市)生まれ。生年月日は安政4年12月1日(1858年1月15日)とも[1]。
- 1875年(明治8年):長野県師範学校飯山支校入学。
- 1877年:横田秀雄とともに第十八番変則中學校に転校。上京し、同人社に入学。
- 1878年:東京師範学校[要曖昧さ回避]中学師範科に入学。
- 1883年:東京師範学校卒業。
- 1884年:文部省編輯局に入省し、「読書(よみかき)入門」を編集。
- 1886年:東宮明宮(大正天皇)の教育掛を拝命
- 1887年:東宮の学習院入学とともに同教授
- 1889年:ドイツに留学し、皇族に関する教育やその方法を研究した
- 1893年:帰国し東宮御用掛となる。
- 1894年:高等師範嘱託教授として教育学を講ずる。
- 1896年:開発社に入社し雑誌『教育時論』の主幹
- 1897年4月:開発社社長となる。
- 1899年:井上円了を補佐して私立京北中学校を設立
- 1902年:女子東京美術学校の校長に就任するもその経営に不信を抱き辞任[2]。
- 1905年:寺田勇吉と共に私立精華学校(現存せず)を設立
- 1908年:井上円了が私立京北実業学校を設立すると校長となる
- 1922年(大正11年):全国私立中等学校併合委員長
- 1923年:東洋大学 4代学長境野哲の事務取扱
- 1924年:私立中等学校協会理事長
- 1925年:脳溢血のため死去[3]。墓所は多磨霊園(3-1-9-9)
『教育時論』を通じて「開発教授、国民教育費の国庫自治体負担、実業教育の奨励と科学思想の養成、皇国民的徳義感情の養成、小学校教員の地位向上」などを主張した。また、ヘルバルト教育学の普及に尽力し、徳性の教育を重視を重視した。
栄典
編集著作
編集- 『湯本武比古選集』 信濃教育会編、信濃教育会、1955年7月
- 著書・編書
- 『読書入門』 文部省編輯局、1886年9月
- 『巡覧 特殊教授法 : 一名 単級及び半日学校めぐり』 金港堂書籍、1894年2月
- 『新編 応用心理学』 金港堂書籍、1894年5月
- 『新編 教育学』 普及舎、1894年10月
- 『新編 教育学』 普及舎、1895年8月訂正四版
- 『新編 教授学』 紅梅書屋、1895年5月
- 『学童百話』 紅梅書屋、1898年4月
- 『心理学新論』 竹内楠三合著、普及舎、1899年7月
- 『ちょくごとくほん』 紅梅書屋、1900年2月
- 『教育勅語関係資料 第6集』 日本大学精神文化研究所・日本大学教育制度研究所、1978年3月
- 『日本倫理史稿』 石川岩吉共編、開発社、1901年6月
- 『学校家庭修身教材 菅公の話』 紅梅社、1902年1月
- 『中等教育 聖諭之栞』 開発社、1902年2月
- 『国民道徳之涵養』 開発社、1902年11月
- 『教育学教科書』 中沢忠太郎共編、開発社、1910年11月
- 『中等修身書』 山海堂書店、1911年10月(全5冊)
- 『改訂 中等修身書』 山海堂書店、1912年10月(全5冊)
- 『改訂 中等修身書』 山海堂書店、1913年1月修正版(全5冊)
- 『勅語述義』 湯本武比古、1913年3月
- 日本大学精神文化研究所編 『教育勅語関係資料 第12集』 日本大学精神文化研究所、1988年2月
- 『憲法発布勅語略解』 開発社、1914年3月
- 『新編 倫理学要義』 湯本武比古、1915年3月
- 『新編 倫理学要義』 湯本武比古、1916年4月訂正再版
- 『今上陛下御幼時の御教育』 湯本武比古、1915年11月
- 『贈従五位 色川三中翁略伝』 湯本武比古、1920年8月
- 訳書
脚注
編集- ^ “湯本武比古 ゆもと-たけひこ”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンク. 2014年10月20日閲覧。
- ^ 内部乱脈を極る 東京女子美術学校 湯本校長手を引く『新聞集成明治編年史 第十一卷』林泉社、1940
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)30頁
参考文献
編集- 土屋弼太郎 「湯本先生小伝」(前掲 『湯本武比古選集』)
- 「長野師範人物誌」信濃教育会編、1986年
関連文献
編集- 「故従七位勲三等湯本武比古位階追陞ノ件」(国立公文書館所蔵 「叙位裁可書・大正十四年・叙位巻二十七」) - アジア歴史資料センター Ref.A11113556300
- 京北中学校編 『故湯本武比古先生』 京北中学校、1928年7月
- 田川光雄 「偉大なる教育者湯本武比古(上)」(『高井』第77号、中野郷土史研究会、1986年11月)、同 「偉大なる教育者湯本武比古先生(下)」(同誌第78号、1987年1月)
- 東洋大学図書館編 『湯本文庫目録』 東洋大学図書館、1987年1月
- 飯沢匡著 『異史 明治天皇伝』 新潮社、1988年6月、ISBN 4103693010
- 東洋大学 『東洋大学創立五十年史』 1937年
外部リンク
編集- 大日本教育会・帝国教育会東京府会員ファイル22 - ウェイバックマシン(2015年4月2日アーカイブ分) - 大日本教育会・帝国教育会の群像
- 筑波大学附属図書館 文庫・コレクションリスト - 湯本文庫の目録が閲覧できる。
- ウィキメディア・コモンズには、湯本武比古に関するカテゴリがあります。
その他の役職 | ||
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先代 私立九段精華高等女学校長 寺田勇吉 |
九段精華高等女学校長 1922年 - 1925年 私立九段精華高等女学校長 1921年 - 1922年 |
次代 尺秀三郎 |
先代 (新設) |
京北実業学校長 1920年 - 1925年 私立京北実業学校長 1908年 - 1920年 |
次代 笹川種郎 |
先代 私立京北中学校長 井上円了 |
京北中学校長 1922年 - 1925年 私立京北中学校長 1906年 - 1922年 |
次代 笹川種郎 |
先代 西村正三郎 |
開発社長 1897年 - 1920年 |
次代 野々村金五郎 |