涂阿玉

台湾出身の女子プロゴルファー

涂 阿玉(と あぎょく、1954年9月29日 - )は、台湾出身の女子プロゴルファーミズノ所属。JLPGAの永久シード権を保持している。「と阿玉」と表記されることもある[1]

涂 阿玉
Ai-Yu TU
基本情報
名前 涂 阿玉
生年月日 (1954-09-29) 1954年9月29日(70歳)
出身地 中華民国の旗 台湾台中県豊原市
(現:台中市豊原区
経歴
成績
優勝回数 日本女子:58勝
賞金王 1982-1986・1989・1991
賞金ランク最高位 日本女子:1位 (7回)
殿堂表彰者
選出年 2017年
選出部門 プレーヤー
2017年2月13日現在
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プロフィール

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  • 1954年9月29日 - 台湾の台中県豊原市の果樹園農家に生まれる。
  • 1969年頃 - 中学卒業後、豊原CCへキャディとして就職。17歳の時から淡水GCへと移る。そこで淡水GCのヘッドプロであった陳金獅プロに出会い、師事することになる。
  • 1973年 - アマチュア時代も来日し、トヨトミレディスで2位タイ。
  • 1974年 - プロ転向。
  • 1976年 - USLPGAに挑戦。
  • 1981年 - 日本ツアーへ本格参戦する。JLPGAに正式入会。入会前に、国内11勝。入会後に、国内58勝をマーク。7回賞金女王に輝く。

戦歴

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※特別の表記がないものは、JLPGA賞金ランキング対象トーナメントにおける成績を指す。

※年度〔賞金ランキング〕:公式年間優勝回数(公式通算優勝回数/参:入会前の参考記録を含む通算優勝回数)

【参考】…JLPGA入会前の年間優勝回数(参考記録)。

【対象外】…JLPGA賞金ランキング対象外トーナメントの年間優勝回数(対:対象外トーナメントの通算優勝回数)。

《日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)入会前》

  • 1974年〔※※〕:【参考】1勝(参1勝)
  • 1975年〔※※〕:【参考】1勝(参2勝)
  • 1976年〔※※〕:【参考】2勝(参4勝)
  • 1977年〔※※〕:【参考】2勝+海外1勝[2](参7勝)
  • 1978年〔※※〕:【参考】1勝+海外1勝[2](参9勝)
  • 1979年〔※※〕:【参考】3勝(参12勝)
  • 1980年〔※※〕:【参考】1勝(参13勝)

《日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)入会後》

  • 1981年〔9位〕:1勝(1勝/参14勝)
  • 1982年〔1位〕:9勝(10勝/参23勝)初の賞金女王(通算1回目)、【対象外】1勝(対1勝)
  • 1983年〔1位〕:9勝(19勝/参32勝)2年連続賞金女王(通算2回目)、【対象外】1勝(対2勝)
  • 1984年〔1位〕:7勝(26勝/参39勝)3年連続賞金女王(通算3回目)、【対象外】2勝(対4勝)
  • 1985年〔1位〕:7勝(33勝/参46勝)4年連続賞金女王(通算4回目)、【対象外】2勝+海外1勝[3](対7勝)
  • 1986年〔1位〕:9勝[4](42勝/参55勝)5年連続賞金女王(通算5回目)、【対象外】1勝(対8勝)
  • 1987年〔5位〕:1勝(43勝/参56勝)
  • 1988年〔5位〕:2勝(45勝/参58勝)、【対象外】2勝(対10勝)
  • 1989年〔1位〕:5勝(50勝/参63勝)賞金女王(通算6回目)、【対象外】1勝(対11勝)
  • 1990年〔6位〕:1勝(51勝/参64勝)
  • 1991年〔1位〕:2勝(53勝/参66勝)賞金女王(通算7回目)
  • 1992年〔2位〕:3勝(56勝/参69勝)
  • 1993年〔15位〕:1勝(57勝/参70勝)
  • 1999年〔72位〕:【対象外】海外1勝[3](対12勝)
  • 2002年〔45位〕:1勝(58勝/参71勝)
  • 2004年〔79位〕:【対象外】海外1勝[3](対13勝)
  • 2005年〔100位〕:【対象外】1勝[5](対14勝)

脚注

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  1. ^ 山下美夢有「…トアギョクさん?」年齢50近く違うレジェンドと並ぶ連続トップ10「11」へ”. 日刊スポーツ (2022年9月15日). 2023年6月24日閲覧。
  2. ^ a b いずれもJLPGA海外公認トーナメント
  3. ^ a b c いずれもJLPGA海外協力トーナメント
  4. ^ 全米女子プロゴルフ協会(USLPGA)公式戦・日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)特別公認トーナメント1試合(マツダジャパンクラシック)を含む。
  5. ^ 米国女子シニアゴルフ協会公式競技・日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)特別公認トーナメント。

関連項目

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外部リンク

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