浜田毅
浜田 毅(はまだ たけし、1951年12月6日 - )は、日本映画の撮影監督(カメラマン)。日本映画撮影監督協会理事長。北海道岩見沢市出身。北海道札幌北高等学校卒業。
はまだ たけし 浜田 毅 | |||||||||||
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生年月日 | 1951年12月6日(72歳) | ||||||||||
出生地 | 北海道岩見沢市 | ||||||||||
職業 | 撮影監督 | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
『いつかギラギラする日』 『女優霊』 『岸和田少年愚連隊』 『壬生義士伝』 『血と骨』 『おくりびと』 『天地明察』 | |||||||||||
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来歴
編集明治大学在学中は演劇の製作に熱中していた。大学中退後、1971年大蔵映画に撮影助手として入社。大蔵映画、国際映画など数多くの現場に撮影助手として参加した後、三船プロダクションに移籍。その後、フリーとなる。
『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(1983/森崎東監督)で映画カメラマンとしてデビュー。2008年『おくりびと』(滝田洋二郎監督/第81回アカデミー賞外国語映画賞受賞)では日本アカデミー賞最優秀撮影賞を受賞。 2014年、紫綬褒章受章[1]。
主な作品
編集- 生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言(1983/森崎東監督)
- 友よ、静かに瞑れ(1985/崔洋一監督)
- 黒いドレスの女(1987/崔洋一監督)
- ふ・た・り・ぼ・っ・ち(1988/榎戸耕史監督)
- Aサインデイズ(1989/崔洋一監督)
- 悲しきヒットマン(1989/一倉治雄監督)
- 病院へ行こう(1990/滝田洋二郎監督)
- 幕末純情伝(1991/薬師寺光幸監督)
- いつかギラギラする日(1992/深作欣二監督)
- 僕らはみんな生きている(1993/滝田洋二郎監督)
- マークスの山(1995/崔洋一監督)
- 女優霊(1996/中田秀夫監督)
- 岸和田少年愚連隊 BOYS BE AMBITIOUS(1996/井筒和幸監督)
- 北京原人 Who are you?(1997/佐藤純彌監督)
- ラブ・レター(1998/森崎東監督)
- のど自慢(1999/井筒和幸監督)
- アドレナリンドライブ(1999/矢口史靖監督)
- 化粧師 KEWAISHI(2002/田中光敏監督)
- 命(2002/篠原哲雄監督)
- 刑務所の中(2002/崔洋一監督)
- 壬生義士伝(2003/滝田洋二郎監督)
- 陰陽師II(2003/滝田洋二郎監督)
- 血と骨(2004/崔洋一監督)
- ニワトリはハダシだ(2004/森崎東監督)
- 子ぎつねヘレン(2005/河野圭太監督)
- 変身(2005/佐野智樹監督)
- 涙そうそう(2006/土井裕泰監督)
- 椿三十郎(2007/森田芳光監督)
- おくりびと(2008/滝田洋二郎監督)
- ツレがうつになりまして。(2011年/佐々部清監督)
- 天地明察(2012/滝田洋二郎監督)
- ペコロスの母に会いに行く(2013年/森崎東監督)
- 利休にたずねよ(2013年/田中光敏監督)
- サクラサク(2014年/田中光敏監督)
- 破門 ふたりのヤクビョーガミ (2017年/ 小林聖太郎監督)
- 恋妻家宮本(2017年/ 遊川和彦監督)
- ラストレシピ〜麒麟の舌の記憶〜(2017年/滝田洋二郎監督)
- 北の桜守(2018年/滝田洋二郎監督)
- 聞煙(2019年/滝田洋二郎監督)
- 首(2023年/北野武監督)
受賞歴
編集- 第32回日本アカデミー賞 最優秀撮影賞(2008年、『おくりびと』)
- 第37回日本アカデミー賞 優秀撮影賞(2013年、『利休にたずねよ』)[2]
- 第47回日本アカデミー賞 優秀撮影賞(2023年、『首』)[3]
脚注
編集- ^ “秋の褒章 桑田佳祐さんら734人に”. 産経ニュース (2014年11月2日). 2014年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月11日閲覧。
- ^ “第37回日本アカデミー賞優秀作品発表!”. 日本アカデミー賞公式サイト. 2014年1月20日閲覧。
- ^ “『第47回 日本アカデミー賞』受賞者・作品発表 授賞式司会は羽鳥慎一、岸井ゆきの【コメント全文】”. ORICON NEWS. oricon ME (2024年1月25日). 2024年1月25日閲覧。
外部リンク
編集- 浜田毅 - allcinema
- 浜田毅 - KINENOTE
- 浜田毅 - 日本映画データベース
- Takeshi Hamada - IMDb