浅井万金膏
浅井万金膏(あざいまんきんこう)とは、かつて愛知県一宮市浅井町で森林平製薬が製造・販売した膏薬。別名「相撲膏」[1][2]。
江戸時代後期から全国に普及し、最盛期には年間400万枚以上を手作業で生産[2]。愛知県葉栗郡浅井町(現・一宮市浅井町)は“浅井万金膏の町”として知られていた。
歴史
編集特徴
編集その他
編集歴代の森林平は相撲好きであり、治療に訪れた江戸相撲の力士に対し全快するまで無料で泊め、世話を行なった[7](治療に訪れた力士の為の部屋もあった[要出典])。明治以降も相撲に関わり、廃業後に浅井町へ移住した元力士も複数いたという[7]。浅井町で相撲の準場所が行なわれた事もある[要出典]。日本相撲協会も森家には特別の配慮を行なっていたという[要出典]。
現在、森接骨院は内科医院に代わったが、同じ場所に存在し、明治時代と思われる古い建物である。製造・販売をしていた森林平製薬も近くに現存する。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d 鈴木 2001, p. 177.
- ^ a b c d e f “愛知のニュース : 伝説の万能薬「浅井万金膏」を大捜索 市民の高齢者も「懐かしい」 最盛期は年間400万枚以上を手づくり”. テレビ愛知 (2023年9月6日). 2023年9月24日閲覧。
- ^ a b 鈴木 2001, p. 176.
- ^ 一宮市浅井町史 1967, p. 619.
- ^ 一宮市浅井町史 1967, p. 621-622.
- ^ 一宮市浅井町史 1967, p. 622.
- ^ a b 一宮市浅井町史 1967, p. 623.
参考文献
編集- 一宮市浅井町史編纂委員会 編『一宮市浅井町史』一宮市役所浅井支所、1967年。 NCID BN14405469。
- 鈴木昶「日本の伝承薬㊾ 浅井万金膏 鶴の伝説もある膏薬」『漢方臨床のための月刊漢方療法』第5巻第2号、2001年5月、176-179頁、CRID 1523669555868573568、NCID AA11270385。