洞禅院
洞禅院(とうぜんいん)は、岐阜県恵那市武並町藤にある聖観世音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院。山号は不老峰。
洞禅院 | |
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所在地 | 岐阜県恵那市武並町藤1813-1 |
位置 | 北緯35度27分33秒 東経137度19分02秒 / 北緯35.45919度 東経137.31717度座標: 北緯35度27分33秒 東経137度19分02秒 / 北緯35.45919度 東経137.31717度 |
山号 | 不老峰 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 聖観世音菩薩 |
創建年 | 延徳3年(1491年) |
開山 | 盛禅洞奭 |
開基 | 西尾式部道永 |
中興年 | 延宝3年(1676年) |
中興 | 陽山泰春 |
札所等 | 恵那三十三観音霊場二十七番 |
法人番号 | 3200005009187 |
歴史
編集文明5年(1473年)、信濃国伊那郡松尾城主の小笠原家長は、将軍足利義政の命により、子の小笠原定基や木曾家豊(木曾義元の父)と共に東濃攻略のため、足利義視方の美濃守護の土岐成頼が京に在陣中で、守護代家の斎藤妙椿が伊勢遠征で美濃を不在にしていた隙に、恵那郡の大井城や土岐郡の釜戸村にあった荻之島城(刈安城)を攻め落した。
文明年間(1469年-1487年)に、元は尾張国大草城主であった西尾式部道永が土岐郡釜戸村の荻之島城(刈安城)主となった。小笠原家長・定基親子から奪取したのであろう。
西尾式部道永は当初は岩倉城主の織田氏に仕えていたが、織田一族の争いに嫌気がさして美濃守護代家の斎藤妙椿に仕えたとされる。
延徳3年(1491年)、西尾式部道永は、荻之島城(刈安城)の福門にあたる藤村の木曽川を臨む丘陵地に洞禅院を開基し、福厳寺三世の盛禅洞奭を招き開山した。院内保存の伝衣が残っている。
盛禅洞奭の弟子の來鳳は、尾張愛知郡岩崎城主の丹羽氏の菩提寺の妙仙寺を開山した。妙仙寺は、その後丹羽氏の転封に伴い移転し、現在は、兵庫県加東市と愛知県日進市の両方にある。
享禄元年(1528年)9月に、二世住持の養拙自牧が遷化した後、148年間にわたり無住の状態が続いた。
延宝4年(1676年)、陽山泰春が、当初の場所から三丁ほど南西の丘陵地に寺を移築して中興し三世となった。
元禄16年(1703年)8月、四世の聖岩泰誾が、堂宇を再建した。
宝永5年(1708年)、洞禅寺の裏山に爐を造り、尾張国春日井郡坂下村の、水野平蔵と藤原政義の両名により寺鐘(口径 二尺四寸、重量 八十二貫)が鋳造された。
その梵鐘は、昭和17年(1942年)12月18日に戦時供出したため失われたが、
昭和46年(1971年)に、檀徒の寄付にて再度鋳造された。
境内にはモミジの大木がある。
脚注
編集参考文献
編集- 『武並町史』 第四編 第五章 神社・仏閣 第三節 地区別の神社・仏閣・石造物 沖之洞地区 貴船山 洞禅院 p275 武並町史編纂委員会 平成5年
- 『恵那市史』 通史編 第2巻 第八章 江戸時代の社会生活と文化 第二節 社寺と文化 二 仏教と寺院 洞禅院 p1062~p1064 1989年
- 『恵那郡史』 第六篇 戦国時代 第二十六章 禅宗の興隆 【曹洞宗】 p200~p202 恵那郡教育会 1926年