泉原保二
泉原 保二(いずはら やすじ、1941年10月6日 - )は、日本の政治家、実業家。自由民主党所属の元衆議院議員(2期)。泉興業株式会社代表取締役。
泉原 保二 いずはら やすじ | |
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生年月日 | 1941年10月6日(83歳) |
出生地 | 兵庫県尼崎市 |
出身校 | 大阪商業大学商経学部卒業 |
前職 | 泉興業社長 |
現職 | 泉興業会長 |
所属政党 |
(無所属→) 自由民主党 |
称号 | 学士(大阪商業大学) |
公式サイト | IZUMI GROUP HomePage |
選挙区 |
(比例近畿ブロック→) 比例四国ブロック |
当選回数 | 2回 |
在任期間 |
2009年5月21日- 2009年7月21日 2012年12月21日[1] - 2014年11月21日 |
尼崎青年会議所理事長、自民党尼崎支部支部長、自民党国会対策委員会委員などを歴任。
来歴
編集兵庫県尼崎市出身。大阪商業大学商経学部を卒業後、産業廃棄物処理会社・泉興業の代表取締役に就任した。尼崎青年会議所の理事長などの役職も務めた。
1990年2月18日の第39回衆議院議員総選挙で旧兵庫2区より無所属で出馬し、落選した。2003年10月、環境大臣表彰を受ける。
第42回衆議院議員総選挙と第43回衆議院議員総選挙にも出馬したが落選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙にて、自由民主党の比例近畿ブロック単独44位で出馬し、次点となる。
その後、鍵田忠兵衛が奈良市長選挙出馬を表明し議員辞職したことに伴い、2009年5月20日に中央選挙管理会が協議を行い、5月21日の告示をもって繰り上げ当選となった[2][3]。当選後は、自由民主党の国会対策委員会にて委員を務めた[4]。同年8月30日の第45回衆議院議員総選挙では落選、議員在職日数はわずか2ヶ月だった。
2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙にて、自民党の比例四国ブロックに単独14位で出馬し当選、国政に復帰した。この選挙では当初泉原は比例近畿ブロックで届け出られていたが、自民党は公示後に選挙区を差し替えた[5]。
2014年の第47回衆議院議員総選挙では比例名簿から外れ、立候補しなかった。
略歴
編集- 1941年 - 誕生。
- 1990年 - 第39回衆議院議員総選挙落選(旧兵庫2区、無所属)。
- 2000年 - 第42回衆議院議員総選挙落選(比例近畿ブロック)。
- 2003年 - 第43回衆議院議員総選挙落選(比例近畿ブロック)。
- 2005年 - 第44回衆議院議員総選挙落選(比例近畿ブロック)。
- 2009年 - 衆議院議員繰り上げ当選。
- 2009年 - 第45回衆議院議員総選挙落選(比例近畿ブロック)。
- 2012年 - 第46回衆議院議員総選挙当選(比例四国ブロック)。
脚注
編集- ^ 平成24年(2012年)12月21日中央選挙管理会告示第37号(平成二十四年十二月十六日執行の衆議院比例代表選出議員の選挙における衆議院名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件)
- ^ 「自民・鍵田議員の辞職、衆院が許可――泉原氏が繰り上げ当選」『NIKKEI NET(日経ネット):政治ニュース-政策、国会など政治関連から行政ニュースまで』日本経済新聞社、2009年5月13日。
- ^ 「泉原氏が繰り上げ当選――衆院比例代表近畿ブロック」『泉原氏が繰り上げ当選 衆院比例代表近畿ブロック - MSN産経ニュース』産経デジタル、2009年5月20日。
- ^ 「近畿ブロック――自由民主党――泉原保二」『2009衆院選 比例近畿ブロック 自由民主党 泉原 保二 - 毎日jp(毎日新聞)』毎日新聞社。
- ^ “【名言か迷言か】何でもあり! 未曾有の〝お粗末〟衆院選を回顧”. 産経新聞. (2012年12月23日). オリジナルの2013年2月6日時点におけるアーカイブ。
外部リンク
編集- IZUMI GROUP HomePage - 泉興業の公式サイト。