江口榛一
江口 榛一(えぐち しんいち、1914年〈大正3年〉3月24日 - 1979年〈昭和54年〉4月18日)は、日本の詩人、社会運動家。
経歴
編集大分県中津市耶馬溪町山移に生まれる[1]。本名は江口新一[2]。1937年(昭和12年)明治大学文芸科を卒業[2]。大学卒業後は満州で新聞記者を務める[2]。
戦後、日本に復員後は赤坂書店で働きながら詩作を行う[2][3]。一時期共産党に加入[2]。
1949年(昭和24年)に「未練」(『文藝時代』1949年3月号)が第21回芥川龍之介賞予選候補、1954年(昭和29年)に「近所合壁」(『新潮』1954年5月号)が第31回芥川龍之介賞候補となる[4]。
1955年(昭和30年)に受洗[2][3]。翌年の1956年(昭和31年)、地の塩の箱運動を起こし、機関誌『地の塩の箱』を発行する[2][3]。資金難などを苦に1979年(昭和54年)に自殺した[2]。
人物
編集三里塚芝山連合空港反対同盟代表の戸村一作の弟と親交があり、成田空港問題での流血の事態に心を痛めていた江口は、友納武人千葉県知事と戸村代表の間を取り持ち、1967年(昭和42年)11月27日に両者の会談を実現する。このとき江口は「ベトナム平和・沖縄の即時返還・成田空港の円満解決・地の塩運動」を掲げて断食を行っており、その激励に戸村が上京する機会を利用してのものだった[5]。
著書
編集- 『三寒集』 1940年
- 『あかつきの星』 広島図書〈銀の鈴文庫〉 1950年
- 『しっぽのゆくえ』 ローマ字教育會 1951年
- 『背徳者 悩める魂の告白』 実業之日本社 1957年
- 『詩集 荒野への招待』 昭森社 1959年
- 『地の塩の箱』 くろしお出版 1959年
- 『歌集 故山雪』 世界文庫 1960年
- 『幸福論ノート』 新潮社 1970年
- 『地の塩の箱 : ある幸福論』 新潮社 1974年
- 『江口榛一著作集』 全4巻 江口木綿子編 武蔵野書房 1992年5月
脚注
編集関連項目
編集参考文献
編集- 新潮日本人名辞典
関連文献
編集- 吉田時善『地の塩の人 : 江口榛一私抄』 新潮社 1982年
- 江口木綿子『父と私』 柿の葉会 1985年
- 森田進「江口榛一管見 : 詩集『荒野への招待』が放つもの」 『研究紀要 : 恵泉女学園短期大学英文科』 1997年