武幸四郎

日本の元騎手、調教師 (1978-)

武 幸四郎(たけ こうしろう、1978年11月3日 - )は、日本中央競馬会(JRA)栗東所属の元騎手調教師

武幸四郎
2018年
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 滋賀県栗太郡栗東町
(現・栗東市
生年月日 (1978-11-03) 1978年11月3日(46歳)
身長 177.0cm
体重 52kg
血液型 A型
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 栗東・武邦彦(1997.3 - 1998.2)
栗東・フリー(1998.3 -2017.2)
初免許年 1997年
免許区分 平地競走[1]
騎手引退日 2017年2月28日
重賞勝利 33勝(中央28勝、地方5勝)
G1級勝利 6勝(中央6勝)
通算勝利 9121戦693勝(中央)
188戦22勝(地方)
調教師情報
初免許年 2017年(2018年開業)
重賞勝利 中央4勝、地方1勝
G1級勝利 0勝
通算勝利 中央142勝、地方1勝
経歴
所属 栗東T.C. (1997年-)
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実兄は武豊。義姉(豊の妻)は佐野量子。実父は武邦彦[2](かつての師匠でもあった)。

来歴

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初騎乗は1997年3月1日阪神競馬第1競走でメイショウユリヒメに騎乗し、13頭立ての6着に終わる。3月2日マイラーズカップオースミタイクーンに騎乗し、11番人気で快勝。初勝利が重賞[3]、さらにはJRA史上最短記録となるデビュー2日目での重賞勝利という快挙を成し遂げた。同年のJRA賞で最多勝利新人騎手を受賞した。兄・豊も最多勝利新人騎手を受賞しており、JRA史上初の兄弟受賞であった。

3年目の1999年に自己最多の62勝を挙げ、関西リーディング6位につける。その後長い間関西リーディングでは上位につけていた。

2000年には秋華賞を10番人気のティコティコタックで勝ち、GI初勝利を挙げる。

同年度の2000年には、ブロードアピールで、根岸ステークス、シルクロードステークスを制した

2007年ごろを境目に騎乗機会、勝利数ともに下降し始め、2009年には1999年から連続していた連続年重賞勝利もストップ。2011年にはデビュー以来自己最低の年間7勝に終わる。

2013年メイショウマンボ優駿牝馬を制し、7年ぶりのGI勝利、5年ぶりの重賞勝利を挙げる。この年には同馬で秋華賞とエリザベス女王杯にも勝利した。

2016年12月8日、JRAより2017年度調教師試験に合格したことが発表された。調教師と騎手の兼務はできないJRAの規程に基づき、2017年2月26日の阪神競馬での騎乗が最終騎乗となり、同年2月28日付をもって約20年間の騎手生活を引退した。

同年3月1日付で調教師免許を取得したが、暫くは厩舎は開業せず技術調教師として活動していた。栗東所属ではあるが、厩舎開業までは美浦所属である藤沢和雄調教師のもとで活動していた[4]。なお、親戚(再従兄弟)である武英智も2017年度調教師試験に合格し、武家の親族2人が同時に調教師として再出発することとなった。

2018年3月1日付で厩舎を開業。同年3月3日に阪神競馬第1競走で管理馬のグアンが兄・豊の手綱で勝利。管理馬の初出走が初勝利となった[5]

2019年にはハッピーアワーファルコンステークスを優勝し、調教師としての重賞初制覇を達成した。

2021年ファンタジーステークスでは兄・豊の騎乗するウォーターナビレラが勝利し、兄弟タッグでの重賞初勝利となった[6]

2022年5月8日、新潟第7Rをタイミングハートで勝利し、JRA通算100勝目を達成した[7]

2023年1月8日、中京11Rシンザン記念を兄・豊の騎乗するライトクオンタムで勝利し、兄弟タッグでの重賞二勝目となった。

騎乗成績

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2013年エリザベス女王杯
騎乗馬:メイショウマンボ
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1997年 37 39 36 492 .075 .154 .228
1998年 31 32 48 526 .059 .120 .211
1999年 62 65 66 648 .096 .198 .298
2000年 59 55 50 630 .094 .181 .260
2001年 47 67 52 594 .079 .192 .279
2002年 49 47 35 534 .092 .180 .245
2003年 49 43 44 587 .083 .157 .232
2004年 61 63 63 680 .090 .182 .275
2005年 28 40 37 456 .061 .149 .230
2006年 59 49 42 567 .104 .190 .265
2007年 32 40 34 456 .070 .158 .232
2008年 34 31 36 484 .070 .134 .209
2009年 18 21 17 379 .047 .103 .148
2010年 21 28 23 294 .057 .134 .197
2011年 7 9 8 161 .043 .099 .149
2012年 19 17 10 240 .079 .150 .192
2013年 23 17 17 350 .057 .098 .140
2014年 28 19 24 413 .068 .114 .172
2015年 13 6 12 242 .054 .079 .128
2016年 11 8 6 207 .053 .092 .121
2017年 5 3 1 52 .096 .154 .173
中央 693 699 661 9121 .076 .153 .225
地方 23 28 20 188 .122 .271 .378
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順

初騎乗 1997年3月1日 1回阪神3日1R 4歳未勝利 メイショウユリヒメ 13頭 3 6着
初勝利
重賞初騎乗
重賞初勝利
1997年3月2日 1回阪神4日11R マイラーズカップ オースミタイクーン 14頭 11 1着
GI初騎乗 1997年11月16日 5回京都6日11R マイルチャンピオンシップ オースミタイクーン 18頭 8 10着
GI初勝利 2000年10月15日 4回京都4日11R 秋華賞 ティコティコタック 18頭 10 1着

記録

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  • JRA史上最年少重賞勝利(1997年マイラーズカップ オースミタイクーン) - 18歳3か月27日
  • JRA初勝利が初重賞勝利(同上) - 1997年3月2日
  • JRA賞最多勝利新人騎手 - 兄弟受賞はJRA史上初
  • 親子2代菊花賞制覇
  • 兄弟菊花賞・優駿牝馬制覇 JRA史上初

GI競走勝利一覧

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調教師成績

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概要

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日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 2018年3月3日 1回阪神3日1R 3歳未勝利 グアン 12頭 1 1着
初勝利
重賞初出走 2018年6月10日 3回阪神4日11R マーメイドステークス ティーエスクライ 15頭 15 14着
重賞初勝利 2019年3月16日 2回中京3日11R ファルコンステークス ハッピーアワー 15頭 4 1着
GI初出走 2018年12月22日 5回中山7日10R 中山大障害 ミヤジタイガ 13頭 2 5着

主な管理馬

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※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。

エピソード

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  • 誕生してから9日後 (1978年11月12日) に父・邦彦はインターグシケンで菊花賞3勝目を挙げた。このことから邦彦は「幸四郎じゃなくて『菊三 (きくぞう) 』と命名しようか」と考えたが[9]、妻から「落語家みたいな名前」と却下されたため、現在の名前に落ち着いたという[10]
  • 初勝利がマイラーズカップであったが、同じ日の中山競馬場で兄である武豊がランニングゲイル弥生賞を勝ち、同日兄弟重賞制覇という形で華を添えた。
  • GIを人気薄の馬で勝利することが多かった[11]。また、1番人気の馬でGIを勝利したことはなく、最上位人気はメイショウマンボで制覇した2013年のエリザベス女王杯での2番人気。
  • 騎手としては長身の177.0cm (公式) で、その長身を活かしたフォームが特徴であった。しかしそれ故に減量が非常に厳しく、現役時代は体重管理に悩まされた。177cmの男性の標準体重は68kg前後であるが、幸四郎は騎乗のために52kgまで絞って維持しており、騎乗依頼の内容によっては49kg前後まで落とすこともあった。現役当時、ある健康バラエティ番組に出演した際、骨密度を測定した時に「60~70代の骨密度」と医者に診断されてしまい、「すぐに生活改善を」と意見されてしまったこともある。その際に本人は「納得した上で騎手であるために(無茶な減量を)やっていることだから、仕方ない」と答えていた。
  • 競馬マスコミ以外でも出演機会が多いため、芸能プロダクション・シンクバンクに所属している(田中勝春も同事務所に所属している)[12]
  • 2011年8月19日早朝、友人数人と京都府京都市東山区内の飲食店で食事をとっていたところ、居合わせた別の客の男とトラブルとなり、顔などを殴られるなどの暴行を受け、左顎を骨折する重傷を負った。京都府警察東山警察署傷害事件として捜査して犯人を逮捕。この影響で、騎乗予定だった小倉競馬をキャンセルし、12月10日に復帰するまで長期の休養に入った[13]
  • 「メイショウ」の冠号で知られる馬主の松本好雄とは幸四郎が子供の頃から関係がある。松本は幸四郎の騎乗成績が低迷した時期にも所有馬の騎乗を任せていた。2013年のオークス優勝時には表彰式に向かう地下馬道で松本と幸四郎が涙を流している場面が新聞記事で掲載された。
  • 武豊の少年時代の項目にもあるが、幼少期は自宅付近の厩舎の馬にニンジンを与えてから出かけるのが日課で、兄弟揃ってニンジンは「馬が食べるもの」と刷り込まれてしまった為にニンジンが苦手。

TV出演

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バラエティ

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脚注

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  1. ^ 平成28年度 騎手免許試験合格者” (PDF). 日本中央競馬会 (2016年2月11日). 2016年4月7日閲覧。
  2. ^ 武邦師引退の日に四男幸四郎が孝行の白星”. 日刊スポーツ新聞社 (2009年3月1日). 2016年2月18日閲覧。
  3. ^ 【データ】武幸四郎、池添謙一らグレード制導入後4人が達成 過去のJRA重賞初騎乗初勝利”. 日刊スポーツ (2022年7月3日). 2022年7月3日閲覧。
  4. ^ 武豊騎手と藤沢和雄調教師が4年ぶりに「和解」!? - Business Journal・2017年6月15日
  5. ^ 武幸四郎師と武豊、兄弟タッグでいきなり初勝利”. 日刊スポーツ新聞社 (2018年3月3日). 2018年3月3日閲覧。
  6. ^ 【ファンタジーS結果】ウォーターナビレラがデビュー3連勝!シルバーステート産駒の重賞初V | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2021年11月9日閲覧。
  7. ^ 武幸四郎調教師、JRA通算100勝達成 | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2022年5月10日閲覧。
  8. ^ ライトクオンタム”. JBISサーチ. 2023年1月10日閲覧。
  9. ^ 弟・幸四郎は「菊三」になるとこだった!? - ウマニティ・2009年4月10日
  10. ^ 東京スポーツ・2010年2月24日付 連載「魔法のムチ 武邦彦の真実」
  11. ^ 2000年秋華賞を10番人気のティコティコタックで、2003年NHKマイルカップを9番人気のウインクリューガーで、2006年菊花賞を8番人気のソングオブウインドで、2013年優駿牝馬を9番人気のメイショウマンボで勝利している。
  12. ^ 芸能事務所に所属の競馬騎手は、他にも後藤浩輝オスカープロモーションに、福永祐一藤田菜七子ホリプロに在籍している、あるいは過去に在籍していた事例がある。
  13. ^ JRAの武幸四郎騎手、飲食店で殴られ左頬骨折 傷害容疑で捜査 京都府警 産経新聞 2011年8月19日
  14. ^ 「ダビマス」武幸四郎・元騎手&藤田菜七子騎手が出演するTVCMが放送決定。一部CM映像のカットや,2人のコメントも紹介”. 4Gamer.net. 2017年5月29日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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