梅田淳
梅田 淳(うめだ じゅん、1961年1月10日 - )は、フリーアナウンサー。元関西テレビアナウンサーで、退社後は、浅井企画を経て、同社との業務提携扱いで有限会社オフィスうめじゅん(本社:大阪府大阪市)に所属している。愛称は梅淳(うめじゅん)。追手門学院大学客員教授・大阪電気通信大学非常勤講師・サンケイスポーツコメンテーター。
うめだ じゅん 梅田 淳 | |
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2014年1月10日、豊中えびす祭福餅授けにて(服部天神宮) | |
プロフィール | |
本名 | 同じ |
愛称 | 梅淳(うめじゅん) |
出身地 |
日本 岐阜県岐阜市 |
生年月日 | 1961年1月10日(63歳) |
最終学歴 | 日本大学藝術学部放送学科 |
所属事務所 | オフィスうめじゅん |
職歴 | 元関西テレビアナウンサー |
活動期間 | 1983年 - |
ジャンル | 報道・スポーツ中継・バラエティ番組 |
公式サイト | http://umejun.com/ |
出演番組・活動 | |
出演中 | CSプロ野球ニュース |
出演経歴 |
プロ野球ニュース アタック600 出発進行!うめじゅんです ニュース・ハイブリッド |
来歴・人物
編集岐阜県立長良高等学校から日本大学藝術学部放送学科へ進学。大学生時代には、学科の実習でテレビ番組の模擬制作を経験するかたわら、アルバイトで『プロ野球ニュース』(フジテレビ)のアシスタント・ディレクターを務めていた[1]。当時の同級生に、船越英一郎や真田広之などがいる。
放送の現場へ関わるうちにアナウンサーを志望。大学4年時にフジテレビのアナウンサー室で正社員アナウンサーとしての採用を直訴したところ、居合わせた露木茂から「フジテレビでは(牧原俊幸の)採用が決まってしまったが、お前は(系列局の)関西テレビに向いている。オレからも推薦しておくからさ」というアドバイスを受けた[2]。実際には、関西テレビと地元局・中部日本放送のアナウンサー試験を受験。いずれも合格に至ったが、1983年に関西テレビへ入社した。関西テレビには、露木から梅田を推薦する旨の電話が実際に入っていたという[2]。
関西テレビへの入社直後から新人研修を受けていたが、研修期間終了直前(1983年9月)の健康診断で、急性肝炎を発症していることが判明。当時は早期の回復に有効な治療法が確立していなかった[3]ことから、入院加療や実家での静養などによって、半年間の休養を余儀なくされた[4]。このため、「初鳴き」(番組デビュー)は入社2年目の1984年にまでずれ込んだが、以降はバラエティ、スポーツ、報道などの番組を幅広く担当した。夕方のローカルワイドニュース『アタック600』では、中継リポーターやスポーツキャスターを歴任したほか、天気予報でも解説役の福井敏雄と共演。独特の調子で語る福井に合いの手を入れる役割を担ったことで、福井と共に人気を集めた。また、1991年4月から2年間は、平日早朝のローカルワイドニュース番組『FNN World Uplink おおさか』のメインキャスターを担当。FNSアナウンス大賞で「優秀CM賞」を受賞したこともある。
その一方で、全国ネットの番組にも数多く出演。フジテレビ系列で毎年夏に放送中の『FNSの日』では、数回にわたって、関西テレビからの中継アナウンサーとして登場した。
プロ野球中継の実況アナウンサーとして、2003年9月15日に阪神タイガースのセントラル・リーグ優勝決定の瞬間を伝えたことを花道に、2004年3月31日付で関西テレビを退職。フリーアナウンサーへ転身した。転身後は、テレビ・ラジオ番組への出演にとどまらず、講演会・アナウンスセミナーの講師、『サンケイスポーツ』のコメンテーター、イベントの司会なども務めている。また、2012年からは、大阪市内で「梅田塾」というアナウンススクールを主宰。スクールの卒業生に、朝日放送テレビのスポーツアナウンサー・福井治人(朝日放送時代の2015年に入社)や、FM802DJの樋口大喜などがいる[4]。2018年度からは追手門学院大学の客員教授、2019年度からは大阪電気通信大学の非常勤講師にも就任。
現在のレギュラー
編集テレビ
編集- プロ野球ニュース(フジテレビONE、2008年~2010年土・日曜司会、2012年~2014年試合結果報告アナウンサー、2015年木曜司会、2018年土曜司会、2021年~2022年隔週で土曜司会)
- EASY GOLF(サンテレビ、司会、2015年11月~、毎週金曜日23:00~23:30)
- 報道ランナー(関西テレビ、毎週月曜日に放送する「週刊おしゃべりスタジアム」で“うめちゃん”として生ナレーションを担当)
新聞・雑誌
編集携帯サイト
編集- 阪神タイガース タイガースFUN内 絶叫リポート
過去
編集テレビ
編集関西テレビアナウンサー時代
編集- フロッピあ!
- 自社制作の全国ネット番組で、放送前期にのみレギュラー出演。
- FNN World Uplink おおさか
- アタック600
- プロ野球中継/熱チュー!プロ野球(1990年〜2003年)
- 阪神×星野 緊急特番 Vの陣!(2003年)
- 走れ!ガリバーくん
- 2005年4月3日まで司会を担当。放送回によっては、「ガリバーくん」(挑戦者)として出演することもあった。
以下はいずれも、フジテレビ制作の全国ネット番組。
- プロ野球ニュース(地上波版)(珍プレー特集のナレーションも務めた。)
- 感動ファクトリー・すぽると!
- 夕やけニャンニャン
- 国電同時多発ゲリラ事件があった日のニュースコーナーで、京橋駅からの中継リポーターとして出演。
- FNSの日KTV中継リポーター
- 実況格闘(2003年12月30日)
フリーアナウンサー転向後
編集- さんまのまんま(関西テレビ)※ゲスト
- っちゅ〜ねん!(毎日放送)※木曜レギュラー
- いずれも、同じ時期にフリーアナウンサーに転向した宮根誠司と共演。
- ちちんぷいぷい(毎日放送)
- 『っちゅ〜ねん!』の終了を機に、「ぷいぷいスポーツ」担当で月1〜2回出演。特別番組にも登場した。
- レギュラー降板後の2017年1月31日(火曜日)には、「ここはどこ?あなたダレ?」(関西テレビアナウンサーとしての2年後輩・山本浩之がリポーターを務めていたVTRロケコーナー)のゲストとして久々に登場。
- みかさつかさ(毎日放送)※ゲスト
- サン虎検定(サンテレビ)※司会(サン虎検定委員会・委員長)
- あっぷ&UP!(関西テレビ)
- たかじん胸いっぱい(関西テレビ)
- マダムシンコのスイーツドリーマー(TOKYO MX)
- ボンジュ〜ル!おめめちゃん(TOKYO MX、『マダムシンコのスイーツドリーマー』の後継番組)
- あほやねん!すきやねん!(NHK大阪放送局)
- 2011年12月12日放送分にゲスト出演。梅田がNHKの番組に出演したのは、この時が初めてである。
- 野球好きニュース(J sports ESPN、2011年シーズン木曜日司会)
- 梅田淳のイマドキ家探し(ベイ・コミュニケーションズ)
- ドラマ10『コピーフェイス〜消された私〜』第2話(2016年11月25日、NHK総合テレビ)
- 劇中で放送される情報番組の司会役[5]。
以下の番組にはいずれも、実況担当で出演。
- バイキング VIKING(フジテレビ)
- ファミ筋(フジテレビ)
- K-1 WORLD MAX 世界一決定トーナメント(TBS)
- HERO'S(TBS)
- TVチャンピオン2(テレビ東京)
- スポーツマンNo.1決定戦(TBS)
- KUNOICHI(TBS)
- 頑張る人応援バラエティ 体育の時間(テレビ朝日)
- ボク達同級生!プロ野球昭和40年会VS48年会(関西テレビが年1回に制作する特別番組)
- BSイレブン住之江ボートレース中継(BSイレブン、司会)
- たむらけんじのぶっちゃ~けBar(eo光テレビ)2020年6月1日
- SWALLOWS BASEBALL L!VE(フジテレビONE)2022年3月29日の「東京ヤクルトスワローズvs.読売ジャイアンツ」(神宮球場)。
ラジオ
編集- 梅田淳YOU LUCK情報局(ニッポン放送、2004年10月 - 2005年3月)
- ラジオでは初めてのレギュラー番組で、メインパーソナリティを担当。
以下はいずれも、ラジオ大阪で放送されたレギュラー番組。
- 出発進行!うめじゅんです
- 放送期間中の2006年・2007年には、毎年12月24日から25日にかけて放送される「ラジオ・チャリティー・ミュージックソン」で、ラジオ大阪制作分のメインパーソナリティも務めていた[6]。
- ニュース・ハイブリッド第2代パーソナリティ(2011年4月 - 2013年9月)
以下は、関西テレビ時代の上司(先輩アナウンサー)・桑原征平がメインパーソナリティを務めるABCラジオの生ワイド番組。
- 桑原征平粋も甘いも
- 征平・吉弥の土曜も全開!!(2016年5月21日)
- 桑原が、前週(5月14日)の放送終了後に急性心筋梗塞の発症・手術で休養したことを受けて、パーソナリティ代理出演。
以下はいずれも、MBSラジオの生ワイド番組。
- 上泉雄一のFANFANレディオ(2008年12月10日)
- 「AMラジオを一緒に盛り上げよう」との思いから、ラジオ局の壁を越えて、当時パーソナリティを務めていた『出発進行!うめじゅんです』の番組グッズをリスナーへのプレゼントに提供した。
- ヤマヒロのぴかいちラジオ~大晦日年忘れスペシャル~(2013年12月31日)
- 次は〜新福島!(2018年1月31日)
CM・広告
編集映画
編集- 白い手(1990年、東宝)関西テレビが製作に出資していた関係で、同局のアナウンサーを代表して、医師役でエキストラ出演。
脚注
編集- ^ 講演依頼.com 梅田淳プロフィール
- ^ a b 長谷川晶一『オレたちのプロ野球ニュース』(2017年 東京ニュース通信社発行、徳間書店発売 ISBN 9784198643737 p101 - 102)
- ^ 関西テレビのアナウンサーとして多忙を極めていた29歳の時(1990年1月)に急性肝炎が再発したが、新人時代に比べて治療法が大きく進化していたことを背景に、ICUでの集中治療を伴う2週間の入院によって完治。退院の直後には、入院前から決まっていた大阪国際女子マラソンテレビ中継の実況を務め上げた。
- ^ a b 『桑原征平粋も甘いも』(ABCラジオ)2014年5月7日放送分「私の通信簿」より。
- ^ フリーアナの八木早希&梅田淳、NHKでドラマ初出演&初共演(『ORICON STYLE』2016年11月18日付記事)
- ^ 『出発進行!うめじゅんです』公式サイト内の2007年12月22日付日記(アーカイブ)
外部リンク
編集- 梅田淳 公式サイト<オフィスうめじゅん>
- オフィスうめじゅんの会社概要 - 近畿商工会議所連合会会員企業検索より。
- 梅田淳の[必見]なんでも実況!!
- ウメジュン (@umejun110) - Instagram