松平頼永 (伊予西条藩嗣子)

江戸時代後期の武士。伊予西条藩嗣子

松平 頼永(まつだいら よりなが)は、江戸時代後期の伊予国西条藩の世嗣。官位従四位下侍従

 
松平 頼永
時代 江戸時代後期
生誕 文政10年2月14日1827年3月11日
死没 嘉永元年11月21日1848年12月16日
改名 悌五郎(幼名)、頼永
官位 従四位下侍従
伊予西条藩世嗣
氏族 守山松平家西条松平家
父母 松平頼慎:林氏
養父松平頼学
兄弟 高、久米、頼誠頼賢勝姫、英、綿、頼永
正室松平頼学の長女・靖姫
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生涯

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文政10年(1827年)2月14日、陸奥国守山藩主・松平頼慎の三男として誕生。幼名は悌五郎。天保14年(1843年)12月8日、伊予国西条藩主・松平頼学の長女と婚姻して婿養子となり、弘化元年(1844年)12月16日には従四位下・侍従に叙任された。

嘉永元年(1848年)11月21日、家督相続前に死去した。享年22(満21歳没)。代わって、頼学の実子(五男)頼英が世嗣となった。