松島トモ子
松島 トモ子(まつしま ともこ、本名:松島 奉子[1](読みは同じ)、1945年(昭和20年)7月10日 - )は、日本の女優、歌手、タレント[2]。現在、毒蝮三太夫が所属する、まむしプロダクションと業務提携をしている。
まつしま ともこ 松島 トモ子 | |
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本名 |
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生年月日 | 1945年7月10日(79歳) |
出生地 | 満洲国奉天省 |
国籍 | 日本 |
職業 | 女優・歌手・タレント |
活動期間 | 1949年(昭和24年) - |
配偶者 | 独身 |
満州国奉天(現・瀋陽市)生まれ[3]。東京都目黒区育ち。目黒区立東根小学校を経てザ・マスターズ・ハイスクール卒業。現在も東京都在住。
略歴
編集三井物産に勤める父の仕事の関係で満州に母と移住した後、1945年に松島が生まれた[3]。生後まもなく満洲国からの引き揚げを体験。本名の奉子は生誕地の奉天に帰する。
乳児期に「くる病」にかかって右脚が曲がり、脚の矯正のため[3]3歳から石井漠舞踊研究所に入門し、バレエを始める。
映画館の劇場ニュースにて、石井門下の子どもたちが「小さな豆バレリーナ」としてとりあげられたところ、そこに映っていたトモ子を阪東妻三郎がスカウト[3]。
1949年(昭和24年)、阪東が出演する東横映画『獅子の罠』に出演し、わずか4歳で芸能界デビュー[3]。このほか、嵐寛寿郎主演の時代劇『鞍馬天狗』(杉作)、大友柳太郎との『丹下左膳』(ちょび安)、江利チエミとの『サザエさん』(磯野ワカメ)など多くの映画に出演、80本の映画で主演を務めた[2][4]。
歌手としても米山正夫門下となり、1953年(昭和28年)、コロムビアより「村の駅長さん/風にゆれるレイの花」でデビュー。その後も、「三匹の子豚」(ディズニーの「狼なんか怖くない」のカバー)、「雨に唄えば」などを吹き込み、「杉作太鼓」、「悦ちゃん」、「ワカメちゃん」、「怪傑黒頭巾」、「赤いカンナの花咲けば」など映画主題歌や挿入歌を吹き込んだ。
少女雑誌『少女』では、表紙を10年間一人で務め[2]、芸能雑誌『平凡』でも雑誌モデルを務めた。このように子役として活躍したが、当時松島母子の身近には子役活動に否定的な人がいたり、本人も食べていくために子役として活動していたなど複雑な思いもあったという[注 1]。
大東学園高等学校在学中に渡米。ザ・マスターズ・ハイスクールに2年間留学し、マーサ・グラハムのダンス・スクールから奨学金を貰い、研修し、帰国。
帰国後はミュージカル、ラジオ、パーソナリティ、CMでは江利チエミの後任として石垣食品のミネラル麦茶、『ひょっこりひょうたん島』の声優などで活躍を見せた。[5]
エピソード
編集巣鴨プリズン慰問
編集1950年(昭和25年)11月19日、5歳の松島は、舞踏の師匠石井漠らと共に、当時第二次世界大戦の戦犯の収容施設であった巣鴨プリズンの鈴木英三郎所長から、収容所近くの米軍専用の劇場に招かれ慰問した。司会者が、三井物産のタイのハジャイ出張所所長であった松島の父・高橋健が満州奉天で召集をうけたのちシベリアに抑留され生死も不明で、松島は母と二人でかろうじて帰国したことを紹介すると、会場は静まり返った(後日、父はナホトカ郊外の収容所で1945年(昭和20年)10月29日に死亡していたことが判明)。続いて法被姿に鉢巻をしめ大きな目をした少女の松島が現れ、洋舞「かわいい魚屋さん」を踊った[3]。並んだ約1千名の戦犯らは涙を流して深く感動し、何度もアンコールし、彼女もそれに応えた。
2度の猛獣襲撃事故
編集1986年(昭和61年)の41歳の時に日本テレビ『TIME21』の撮影でケニアを訪れて、10日の間にライオンとヒョウに立て続けに2度襲われ、帰国後にギプス姿で記者会見して話題になった[6]。1月28日にジョイ・アダムソン(『野生のエルザ』の作者)の夫であるジョージ・アダムソンと共にナイロビのコラ動物保護区でエルザの子孫でジョージによりラクダの肉で餌付けされ人に慣れた雌ばかり7頭らライオンの群れと接触し子ライオンと戯れていたところ、ジョージがキャンプとの無線で松島とライオン達から目を離した隙にその子ライオンの母親に襲われ、松島は宙に飛び10メートルほど引きずられサファリスーツはズタズタ、首や太腿に全治10日の怪我を負う[7](目を離していたジョージは耳が遠く助けに行くのが遅れた)。その際にジョージにより松島は助けられた。このとき周りには複数のライオンがいたが、攻撃を加えたのは一頭のみである。
10日の入院予定だったが3日で退院して仕事を再開[7]、再び別の動物保護区を訪れ、万全の態勢でロケに挑むが、10日後の2月7日に保護区のスタッフで責任者のトニー・フィッツジョンと共にこの保護区で飼育されている雌ヒョウの「コムンユ」を見に、周りを高い柵で囲われた施設に行った。施設の外に出たところ、そのヒョウが夜陰に乗じて柵を跳び越えて待ち伏せており、迂闊にも目を合わせてしまった松島に体当たりで奇襲してきた。奇襲を受けて地に倒された松島はそのまま首を噛み付かれ、なおかつ持ち上げられた。このとき骨がガリガリと囓られる音が聞こえ[7]、「死んだ」と思ったという。これは、松島の隣にいたこのヒョウの飼い主のトニーが、松島と親しくしているように見えたためヒョウが嫉妬したと考えられている。また、松島の目が大きいのも襲われる理由だと後で言われた[7]。
この後、松島は救助隊に救急ヘリを要求したが、「夜間の飛行は危険」との理由で拒否されてしまう。結局、朝まで止血しながら耐える羽目になり、その後、朝になり救急ヘリが到着し、ようやく病院に運ばれ、第四頚椎粉砕骨折[注 2]という診断を受けたが、ヒョウの噛む位置があと1ミリずれていたら松島は間違いなく死んでいただろうとされる[7]。第四頚椎粉砕骨折は後遺症も無く生還するのが奇跡と言われており(高確率で死亡。良くても首から下が動かなくなる程の後遺症が残る)、松島の症例はニューヨークの学会で発表されたほどである[7][注 3]。
ヒョウに襲われた後も撮影を続けて、2月17日に帰国、コルセットをつけて記者会見に臨み「それでも動物が好き」とコメントした[10]。このときに撮影された映像は3月31日に「それでも私はライオンが好き」と題して『TIME21』で放送された[11]。
この事故が発生する前、1986年の元日に松島からアナウンサーの伊藤勉に送られてきた年賀状には、仕事でアフリカに行く予定である旨が書かれていると同時に、「ライオンに食べられないように祈って下さいませ。またお目にかかれますように」とも書かれていた。後年、この件について伊藤は「まさか本当にあんな事件が起こるとは思ってませんでしたから、笑って軽く読み流したんです。あの時は本当に私の祈りが足らなかったのではないかと悔やみました」と語った。一方、松島本人は、年賀状の効果はなかったのではないかと問われた際に「いいえ、ありましたよ。あれを書いていなかったら命があったかどうか。皆さんの祈りが通じて、噛まれただけですんだんだと思います」と返答している[7]。
後年永六輔の番組にゲスト出演した際、永が「今日のスペシャルゲスト、ライオンの餌・松島トモ子!」と松島を紹介、その時は驚きのあまりステージの袖で立ちすくんだものの観客は大受けし、松島自身もその後この「ライオンの餌」が気に入ったフレーズになっており、自身の公式ブログのタイトルにも用いられている[12]。
その他
編集私生活では幼い頃から母親と支え合うように暮らしてきたため、周りから「一卵性母子」と呼ばれるほど仲が良かった[3]。また、長年に渡って家事全般は全て家政婦にしてもらっており、2021年に母を亡くしたことで77歳にして生まれて初めて一人暮らしとなったが、現在もお手伝いさんに週5日来てもらい家事をしてもらっている[3]。
ある年の浅草寺の豆まきに陸上競技指導者の瀬古利彦と共にゲストに招かれ、これが縁で交流するようになった。瀬古の方が年下だが「お兄ちゃん」と呼び慕い、時々食事に行くなどしている[3]。瀬古からは「上品で独特の雰囲気がある人なんだけど、ふわふわとして何を喋りだすかわからない。目がものすごく大きいし、ちょっと宇宙人みたいな所がある人(笑)」と評されている[3]。
主な出演
編集映画
編集- 母子船(1951年) - ミチ子
- 呼子星(1952年) - 前田みどり
- 母山彦(1952年) - 洋子
- 巣鴨の母(1952年) - 雪子
- 母の瞳(1953年) - たま子
- 母恋人形(1954年) - トシ子
- あんみつ姫(1954年) - すみれ
- たん子たん吉珍道中(3部作)(1954年) - たん子
- 赤いカンナの花咲けば(1955年) - トモ子
- 水戸黄門漫遊記 火牛坂の悪鬼(1955年) - 妙姫
- 鞍馬天狗 御用盗異変 (1956年) - 杉作
- サザエさん(1956年) - 磯野ワカメ
- 続・サザエさん(1957年) - 磯野ワカメ
- サザエさんの青春(1957年) - 磯野ワカメ
- サザエさんの婚約旅行(1957年) - 磯野ワカメ
- 大学の侍たち(1957年) - 中島正子
- 月光仮面(1958年)
- 空中サーカス 嵐を呼ぶ猛獣(1958年)
- 快傑黒頭巾 爆発篇(1959年) - 友之助
- 危うし!快傑黒頭巾(1960年) - 彩生
- 右門捕物帖 南蛮鮫(1961年) - 妙姫
- 安寿と厨子王丸(1961年) - あや姫[13]
- 若さま侍捕物手帖 お化粧蜘蛛(1962年)- お千代
- ちゃんばらグラフィティー 斬る!(1981年)
- テルマエ・ロマエII(2014年) - 峰子
- 松島トモ子 サメ遊戯(2024年)[14][15]
ラジオドラマ
編集テレビドラマ
編集- バルコの空想手帖 (1953年12月2日 - 1954年2月24日、NNN)[17]
- 悦ちゃん (1956年12月6日 - 、日本テレビ)[18]
- おまわりさん、敬礼!(1959年 - 1961年、FNN、フジテレビ)[19]
- 夕やけ天使(1960年8月7日‐1962年9月30日、KRテレビ)
- マンモス家族(1962年 - 1964年、フジテレビ) - 四女・いのり 役
- 新吾十番勝負 第13話「危機一発」(1966年、TBS / 松竹テレビ室) - 妙 役
- 変身忍者 嵐
- プリマダム - 高杉民江 役
- たったひとつの恋
- ロマンス
- みのもんたの人生相談デカ 〜おもいッきりテレビ殺人事件〜
ラジオ
編集- おしゃべりクイズ疑問の館(NHKラジオ第1)
- いとしのオールディーズ(2009年12月4日、NHKラジオ第1)
- 日曜電リクパレード~松島トモ子の180分ぐるぐるワイド~(TBSラジオ。1970年代半ば、日曜日午後に放送。アシスタントはひなた康夫)
- 土曜電リクパレード(TBSラジオ)
- 土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界(TBSラジオ、月1回のペースで出演)
- 六輔七転八倒九十分(TBSラジオ、月1回のペースで出演)
- いち・にの三太郎〜赤坂月曜宵の口(TBSラジオ) - ゲスト
- たまむすび(2017年10月19日、TBSラジオ) - ゲスト[20]
- 爆笑問題の日曜サンデー(2020年11月29日、TBSラジオ) - ゲスト
- 徳光和夫とくモリ!歌謡サタデー(2020年12月12日、ニッポン放送) - ゲスト
バラエティー
編集- ドレミファ船長(NHK教育テレビ) - チャペ
- ハイヌーンショー(フジテレビ) - 司会
- ザ・ロンゲストショー(東京12チャンネル) - アシスタント
- にっぽんの歌(1974年7月、NETテレビ)- 司会
- にっぽんの歌(テレビ東京)
- 午後は○○おもいッきりテレビ(日本テレビ) - 不定期出演
- トリビアの泉(2004年1月21日、フジテレビ)
- クイズ☆タレント名鑑(2010年 - 2012年、TBS) - 準レギュラー
- クイズ☆スター名鑑(2016年 - 2017年、TBS) - VTR出演
その他のバラエティー
編集- ママとあそぼう!ピンポンパン(1976年12月31日、フジテレビ) - 『1976 ピンポンパン紅白歌合戦』の審査員。はしだのりひこと共に出演[21]。
CM
編集ラジオ
編集- 独立行政法人平和祈念事業特別基金 恩給欠格者、戦後強制抑留者、引揚者のみなさんへ - 特別慰労品贈呈のお知らせ(2008年 - 2009年)
テレビアニメ
編集吹き替え
編集- スヌーピーとチャーリーブラウン - サリー・ブラウン
- マペット・ショー - サンディ・ダンカン
- 学研 たのしいこども英語
人形劇
編集- ひょっこりひょうたん島 - マリー
舞台
編集- 絵本昔話狐嫁入(1988年、劇団すぎのこ) - おこん(声の出演)[22]
著書
編集- 『ニューヨークひとりぼっち ミュージカル留学記』集英社 1965年(昭和40年). NCID BA3886773X
- 『母と娘の旅路』文芸春秋 1993年(平成5年)3月ISBN 978-4163472607
- 『車椅子でシャル・ウイ・ダンス』海竜社 1999年(平成11年)7月ISBN 978-4759305951
- 『ホームレスさんこんにちは』めるくまーる 2004年(平成16年)2月ISBN 978-4839701154
- 『老老介護の幸せ 母と娘の最後の旅路』飛鳥新社 2019年(令和元年)12月ISBN 978-4864107372
ディスコグラフィー
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シングル
編集A面 | B面 | 発売年月 | 規格品番 | 備考 |
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村の駅長さん | 風にゆれるレイの花 | 1953年 | C-197 | デビュー曲 |
雨に唄えば(Singin' in the Rain) | 三匹の子豚(Who's Afraid of the Big Bad Wolf?) | 1953年 | JL-58 | |
たん子たん吉珍道中 (with吉利公男) |
たん子の馬子唄 | 1954年 | C-270 | |
ママの思い出 | 芝刈りローラの歌 | 1954年3月 | A-1907 | 『花祭底抜け千一夜』主題歌 |
グッド・モーニング青い空 | レモンと卵 | 1954年6月 | C-256 | |
母恋人形 | 母の呼ぶ声 (with小島秀人) |
1954年7月 | A-2057 | 『母恋人形』主題歌 |
赤いカンナの花咲けば (with小畑やすし) |
トモ子の花売娘 | 1955年5月 | A-2289 | 『赤いカンナの花咲けば』主題歌 |
ビルマに眠るお父さま | 仔馬の誕生日 | C-311 | ||
魔法つかいのお母さん | わたしの好きなママ (初代コロムビア・ローズ) |
1956年5月 | A-2549 | |
潮来の兄妹 (with青木光一) |
あやめ月夜 (島倉千代子) |
1956年6月 | A-2527 | |
ご存知鞍馬天狗 (中島孝) |
杉作太鼓 (with中島孝) |
1956年6月 | A-2568 | 『鞍馬天狗』主題歌 |
サザエさん (泉友子) |
ワカメちゃん | 1956年9月 | A-2612 | 『サザエさん』劇中歌 |
お誕生日の歌(ハッピー・バース・デイ・トゥ・ユー) | 私の誕生日 | 1956年12月 | CP-21 | |
こけし子守唄 (君和田民枝) |
夕焼けがらす | 1957年3月 | A-2726 | 『こけし子守唄』主題歌 |
悦ちゃん | ママ | 1957年4月 | A-2718 | |
船頭姉妹 (君和田民枝) |
潮来船 | 1957年5月 | A-2781 | 『船頭姉妹』主題歌 |
ジングル・ベル | 金と銀のクリスマス (渡辺敏子) |
1957年10月 | C-473 | |
こだまの山 | アルプスのふもと | 1958年 | SC-1 | 『アルプスの少女』主題歌 |
パパ・ママ・ソング | 赤い風船 | 1958年 | C-479 | |
怪傑黒頭巾 | 父恋い角兵衛獅子 (伊丹章子) |
1958年8月 | A-3073 | 『怪傑黒頭巾』主題歌 |
ピンク・シュー・レーセス(Pink Shoe Laces) | スイート・ピーの嘆き | 1960年9月 | SA-451 | |
夢のナポレターナ(Luna Napoletana) | パイナップル・プリンセス(Pineapple Princess) | 1960年12月 | SA-507 | |
赤い帽子白い帽子 | かもめの水兵さん (久保木幸子) |
1960年 | SC-28 | |
15本のキャンドル | 1961年 | SA-544 | ||
月影のマジョリカ (スリー・グレイセス) |
汽車ポッポのタンゴ | 1961年4月 | SA-601 | |
谷間の灯ともし頃(When It's Lamp Lightin' Time In The Valley) | 峠の我が家(Home on The Range) | 1961年11月 | SA-741 | |
シンデレラ(Cinderella) | つめたい言葉(We Had Words) | 1961年12月 | SA-762 | |
カッコーの森(Cuckoo Time) | 1962年4月 | SA-853 | ||
おもちゃのチャチャチャ | チューリップ畠のベンチ | 1962年 | BK-3001 | |
旅のハミング (井上ひろし) |
若い風の歌 | 1962年5月 | SA-894 | |
丘にのぼろう | 帽子とそよ風 (トミー藤山) |
1962年 | SA-913 | |
眠りの森の物語 | 七人のボーイフレンド | 1962年11月 | SA-999 | |
幸せをつかもう (飯田久彦) |
あしたの幸福 | 1963年 | SAS-92 | |
ティーンエイジ・ウエディング(Teenage Wedding) | 夢のイタリア(Zwei Kleine Italiener) | 1963年5月 | SAS-39 | |
シオジャケの歌 | 春風はもういない (真理ヨシコ) |
1963年 | BK-3004 | NHKホームソング |
それだけがおねがいなのママ | ほんとかしら | 1964年 | BK-3039 | |
ニューヨークひとりぼっち(Wonderful New York) | 恋の太陽(Love In The Sun) | 1965年8月 | JPS-17 | |
チム・チム・チェリー(Chim Chim Cheree) | 2ペンスを鳩に(Feed The Birds) | 1965年11月 | JPS-26 | |
遥かなお父さま | 真珠 | 1966年 | JPS-33 | |
ひとりで恋して | 別れられなくなっちゃった | 1967年12月 | SAS-1004 |
A面 | B面 | 発売年月 | 規格品番 | 備考 |
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かねてつ音頭 (楠トシエ) |
てっちゃんの歌 | M2245 | かねてつ蒲鉾(現:カネテツデリカフーズ)CMソング | |
我が家は楽し (東唱コーラス) |
てっちゃんの歌 | M2246 | かねてつ蒲鉾(現:カネテツデリカフーズ)CMソング |
A面 | B面 | 発売年月 | 規格品番 | 備考 |
---|---|---|---|---|
コーヒーと仔犬 | 独占(ひとりじめ) | 1971年2月 | AS-1041 | |
白い色が好きな娘 | バラひと枝と友だち二人 | 1971年9月 | AS-1088 | |
こどもの眼 | 明日の午後ならいいわ | 1972年3月 | AS-1125 |
A面 | B面 | 発売年月 | 規格品番 | 備考 |
---|---|---|---|---|
ふるさとの四季 | なんだべ坂の七ふしぎ | 1976年 | DQ-1006 | 『まんが・ふるさと昔話』主題歌 |
A面 | B面 | 発売年月 | 規格品番 | 備考 |
---|---|---|---|---|
ホアンホアンとカンカン | パンダのマーチ | RS-3001 |
アルバム
編集- トモ子ちゃんの童謡集(1958年、コロムビア、KK-53)
- 家をでるとき(1976年、ポリドール、MR-3018)
- 荒井由実(「過ぎたことだから」収録)らが楽曲を提供した。
- 心に残るうたの贈りもの(1985年、東芝EMI、TP-80203)
- 「峠の我が家」、「ディズニーメドレー」など収録
- 決定盤 松島トモ子大全集(2014年5月21日、日本コロムビア、COCP-38509〜10)
- 2枚組ベスト・アルバム
コンピレーション・アルバム
編集- 日本童謡名曲集 その一 かもめの水兵さん(1960年、コロムビア、AL-3015)
- 「かもめの水兵さん」を松島トモ子が歌唱。
脚注
編集注釈
編集- ^ 本人によると、「今なら売れっ子子役として周りから羨望の的になったでしょうが当時の私は違いました。女性の社会進出が少ない時代でしたし、親戚から『子役になるなんて、かわいそうに』と泣かれたり、母は他の人からも『小さい女の子を働かせるなんて』と言われることもありました。でもしょうがないですよ、当時父はシベリアで生死不明の状態だったし、子役をやってでも食べていくしかなかった」と述懐している[3]
- ^ 正式には「第四頚椎棘突起及び椎弓粉砕骨折」である[8]。
- ^ 日本では、1986年(昭和61年)4月26日に開催された第494回関東整形災害外科学会月例会において、主治医の林良彦(昭和大学病院整形外科)らによる症例報告が行われた[9]。
出典
編集- ^ 『声優名鑑』成美堂出版、1999年8月、268頁。ISBN 4-415-00878-X。
- ^ a b c 『松島トモ子とは』コトバンク
- ^ a b c d e f g h i j k 『週刊女性』2024年7月9日号.
- ^ a b “「胡蝶蘭のウエディングドレス」女優・松島トモ子さん【インタビュー前編】~日々摘花 第48回~”. 家族葬のファミーユ【Coeurlien】 (2024年6月21日). 2024年6月27日閲覧。
- ^ 徹子の部屋
- ^ 「芸能・ゴシップ」『噂の真相』1986年4月号、p.96
- ^ a b c d e f g フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 6』講談社、2004年。
- ^ 松島トモ子『母と娘の旅路』文藝春秋、1993年2月1日、239頁。ISBN 4163472606。
- ^ 「咬創による頚椎椎弓粉砕骨折の1例」『関東整形災害外科学会雑誌』第17巻第5号、関東整形災害外科学会、1986年10月、[要ページ番号]、国立国会図書館サーチ:R100000002-I000000035536-i6372911。
- ^ ナンシー関『何の因果で』角川文庫、1999年、p.139
- ^ 松島トモ子プロフィール 講演依頼.com|講演会の講師紹介
- ^ 松島トモ子「ライオンの餌」と紹介され…「フリーズして動けなかった」,スポーツニッポン,2022年6月3日
- ^ “安寿と厨子王丸”. メディア芸術データベース. 2016年10月29日閲覧。
- ^ “松島トモ子主演のサメ映画「松島トモ子 サメ遊戯」の製作・配給が決定”. 東京スポーツ (2023年12月15日). 2024年9月13日閲覧。
- ^ “『松島トモ子 サメ遊戯』国内最速上映ジャパンプレミアも!!! サメあがりの朝焼けの空に君はなにを見るー。 オールナイトSHOW「福山国産サメ映画まつり2024」開鮫♡”. フクヤマアニメ7 (2024年8月16日). 2024年9月13日閲覧。
- ^ “【マンガ探偵局がゆく】松島トモ子起用ラジオドラマの原作 少女と犬の放浪旅を描いた、山田えいじ「ペスよおをふれ」”. zakzak. 夕刊フジ (2021年3月20日). 2021年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月5日閲覧。
- ^ “バルコの空想手帖”. テレビドラマデータベース. Furusaki Yasunari. 2021年1月18日閲覧。
- ^ “悦ちゃん(1)”. テレビドラマデータベース. 獅子文六アワー. Furusaki Yasunari. 2021年1月18日閲覧。
- ^ “おまわりさん、敬礼!”. テレビドラマデータベース. Furusaki Yasunari. 2021年1月17日閲覧。
- ^ “松島トモ子の「ライオン事件」 本当の本当の真相とは!?”. TBSラジオ (2017年10月19日). 2017年10月19日閲覧。
- ^ 『毎日新聞』毎日新聞社。1976年12月31日・(東京)朝刊 同日付の朝刊テレビ欄より。16頁。
- ^ 『芸能』9月号、芸能学会、1988年、34頁。
参考文献
編集- 「人間ドキュメント「敗戦日本を元気にしてきたザ・昭和スター~松島トモ子」『週刊女性』2024年7月9日号、主婦と生活社、2024年6月25日、36-42頁、JAN 4910203620744。
外部リンク
編集- ライオンの餌 松島トモ子 Official Blog - Ameba Blog
- 松島トモ子 公演サイト
- 松島トモ子 - 日本映画データベース
- 松島トモ子 - allcinema
- 松島トモ子 - テレビドラマデータベース
- 松島トモ子 - NHK人物録
- 松島トモ子_STAFF INFO (@matsushima_lion) - X(旧Twitter)