松元崇
松元 崇(まつもと たかし、1952年〈昭和27年〉11月25日 - )は、日本の元大蔵・財務・内閣府官僚。学位はMBA(スタンフォード大学・1980年)。熊本県企画開発部長、財務省主計局次長、内閣府大臣官房長、内閣府事務次官などを歴任した。内閣府退官後、国家公務員共済組合連合会理事長、日本ローイング協会理事、日本財政学会会員、日本アスペン研究所諮問委員、日本近代文学館理事、人文知応援フォーラム理事、民間外交推進協会監事など。
まつもと たかし 松元 崇 | |
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生誕 |
1952年11月25日 日本・東京都 |
国籍 | 日本 |
出身校 |
東京大学法学部第1類卒業[1] スタンフォード大学経営大学院修了 |
職業 |
三菱マテリアル 取締役 グノシー 取締役 イノテック株式会社 取締役 第一生命経済研究所 特別顧問 |
来歴
編集生い立ち
編集1952年、東京都にて生まれた[2]。幼少期を鹿児島県で過ごし、小学生の時に上京し、筑波大学附属駒場高等学校を経て、東京大学に進学した[3]。東京大学では四年間漕艇部に所属し、留年して1975年に国家公務員採用上級試験と司法試験に合格した[2]。翌年、東京大学を卒業するとともに、大蔵省(のちの財務省)に入省した(主税局国際租税課[4])[2][5]。
官界にて
編集1976年に大蔵省に入省した[2][3]。証券局では総務課や業務課の課長補佐を務めた[3]。業務課の課長補佐としては、証券投資顧問業法(のちの金融商品取引法)の立法作業を手がけている[3]。その後、主税局総務課の企画官を経て、主計局総務課の課長や、主計局の末席次長などを歴任した[3][6]。なお、主計局では、農林水産分野や通商産業分野を手がけた[3]。その後、内閣府に転じ、政策統括官(経済社会システム担当)や官房長、事務次官などを務めた[2][3][5]。2012年1月10日付で、浜野潤の後任として内閣府の事務次官に就任した[7]。
退官後
編集弁護士法第5条の規定に基づき、法務大臣より弁護士資格の認定を受ける[8]。株式会社第一生命経済研究所特別顧問[9]。イノテック株式会社取締役。グノシー取締役。三菱マテリアル取締役。
2015年、公益財団法人国際保険振興会理事長[10][11]。2017年9月1日、国家公務員共済組合連合会理事長に就任[12]。
人物
編集- 立法作業
- 大蔵省証券局業務課の課長補佐時代に、証券投資顧問業法の立法作業を担当している。そのときの経験から、新しい法律を成立させる作業について「証券局長以下末端の係員に至るまで、実に多くの人々のチームワークの成果であり、その後の役人人生にとって貴重な経験」[3]だと語っている。
- 課長補佐
- また、課長補佐というポストについて「係長や係員とは異なり、仕事に大きな責任が伴っている」[3]と指摘したうえで、自身が課長補佐だったころを回顧し「その重圧に押しつぶされ、霞が関では何年かに1人は自殺する、あるいは過労から亡くなるというのが当時の状況であった」[3]と述懐している。実際に、主計局にて予算編成時に通商産業分野を担当する主査が亡くなったため、その後任になったこともあったとされる[3]。
- 著作
- 山縣有朋や高橋是清などを取り上げ、当時の財政や地方自治など社会制度についての考察も交えた書籍を複数上梓している[14][15][16]。
略歴
編集- 1952年11月25日:誕生
- 1973年 :東京大学漕艇部全日本選手権エイト整調
- 1976年 3月 :東京大学法学部第1類卒業
- 1976年大蔵省入省、主税局国際租税課配属 4月 :
- 1976年[4] 6月 :大蔵省主税局調査課
- 1978年 5月 :大蔵省主税局付(スタンフォード大学留学)[4]
- 1980年 :スタンフォード大学経営大学院修了
- 1980年大臣官房秘書課財務官室調査主任[17] :大蔵省
- 1982年 :広島国税局尾道税務署長
- 1983年 :大蔵省証券局総務課長補佐
- 1986年 :大蔵省主計局主計官補佐(農林水産、通商産業係担当)
- 1991年 :熊本県企画開発部長
- 1993年 :大蔵省銀行局中小金融課金融会社室長
- 1994年 :大蔵省主税局総務課主税企画官
- 1995年 :大蔵省主計局調査課長
- 1997年 7月 :大蔵省主計局主計官(農林水産係担当)
- 2000年 7月 :大蔵省主計局法規課長
- 2001年 7月 :財務省主計局総務課長
- 2004年 7月 :財務省主計局次長
- 2007年 7月 :内閣府政策統括官(経済社会システム担当)
- 2010年 :内閣府大臣官房長
- 2012年 1月 :内閣府事務次官
- 2014年 1月 :内閣府退官
同期
編集著書
編集- 『大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清』 中央公論新社、2009年。ISBN 9784120040009
- 『恐慌に立ち向かった男 高橋是清』 中公文庫、2012年。ISBN 9784122056046
- 『高橋是清暗殺後の日本―「持たざる国」への道』 大蔵財務協会、2010年
- 『持たざる国への道―あの戦争と大日本帝国の破綻』 中公文庫、2013年。ISBN 9784122058217
- 『山縣有朋の挫折―誰がための地方自治改革』 日本経済新聞出版社、2011年。ISBN 9784532354947
- 『リスク・オン経済の衝撃―日本再生の方程式』 日本経済新聞出版社、2014年。ISBN 9784532356125
- 『「持たざる国」からの脱却 日本経済は再生しうるか』 中公文庫、2016年。ISBN 9784122062870
- 『決定版 日中戦争』 新潮新書、2018年。ISBN 9784106107887
- 『日本経済低成長からの脱却』 NTT出版、2019年。ISBN 9784757123793
- 「61年産米に係る生産者米価の決定ー新たな農政誕生への苦しみ」ファイナンス : 財務省広報誌 /1986-09 p.p22~33
- 「証券投資家被害の防止ー有価証券に係る証券投資顧問業の規制等に関する法律」ジュリスト / 有斐閣 (通号 865) 1986-07-15 p.p61~64
- 「財政構造改革をめぐる動き」財経詳報、1996-05-21 p.p6~8
- 「IT革命が拓く農業新時代」週刊東洋経済、2000-07-29 p.p108~11
- 「幕末の貨幣改鋳」文芸春秋、2014-07 p.82-84
- 「明治の町村行財政制度の成立と終焉ー立憲制の学校」第73回日本財政学会報告、2016
- 「高橋是清による国債の日本銀行直接引き受け― 財政赤字の弊害は何か―」第74回回日本財政学会報告、2017
- 『金融経済研究』「われわれは,高橋是清から何を学ぶのか」第40号,2018年1月
- 「正貨流出問題」第75回回日本財政学会報告、2018
- 「我が国の公会計改革ー現状と課題ー」第76回回日本財政学会報告、2019
- 「少子化低成長論の誤謬」政策科学学会年報 / 政策科学学会編集委員会編、2019-03 p.p1-15
- 「石橋湛山の財政思想 戦後復興の基礎の形成」第77回回日本財政学会報告、2020
脚注
編集- ^ 『東大人名録,第1部』1986年発行、53頁
- ^ a b c d e 「著作一覧」『松元 崇 ― まつもと たかし |日本経済新聞出版社』日本経済新聞出版社。
- ^ a b c d e f g h i j k 「内閣府官房長 松元崇(58)」『毎日フォーラム・課長補佐時代:内閣府官房長 松元崇(58) - 毎日jp(毎日新聞)』毎日新聞社、2011年8月10日。
- ^ a b c 『大蔵省名鑑 1997年版』時評社、1996年12月発行、46頁
- ^ a b 共同通信「内閣府官房長に松元氏――政策統括官は松山氏」『内閣府官房長に松元氏 政策統括官は松山氏 - 47NEWS(よんななニュース)』全国新聞ネット、2009年6月30日。
- ^ 財務省 幹部名簿(平成16年8月12日時点)(Archived 2004年8月9日, at the Wayback Machine.)
- ^ 「人事異動」『官報』5721号、国立印刷局、2012年1月20日、8面。
- ^ 「弁護士資格認定の公告」『官報』6439号、国立印刷局、2014年12月19日、10面。
- ^ [1]
- ^ [2]FALIA 国際保険振興会
- ^ 「年譜」国際保険振興会
- ^ 国家公務員共済組合連合会、理事長に松元氏日本経済新聞
- ^ 『官報』号外第93号、令和5年5月1日
- ^ 松元崇『大恐慌を駆け抜けた男――高橋是清』中央公論新社、2009年。
- ^ 松元崇『高橋是清暗殺後の日本――「持たざる国」への道』大蔵財務協会、2010年。
- ^ 松元崇『山縣有朋の挫折――誰がための地方自治改革』日本経済新聞出版社、2011年。
- ^ 『職員録 第1部』大蔵省印刷局、1981年発行
関連人物
編集関連項目
編集非営利団体 | ||
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先代 梅本守 |
公益財団法人国際保険振興会理事長 2015年 -2019年 |
次代 佐藤慎一 |
公職 | ||
先代 浜野潤 |
内閣府事務次官 2012年 -2014年 |
次代 松山健士 |
先代 浜野潤 |
内閣府官房長 2009年 - 2012年 |
次代 阪本和道 |
先代 村瀬吉彦 |
内閣府政策統括官(経済社会システム担当) 2007年 - 2009年 |
次代 松山健士 |
先代 飯原一樹 |
熊本県企画開発部長 1991年 - 1993年 |
次代 細溝清史 |