朴相煕
朝鮮独立運動家、ジャーナリスト
朴 相煕(박상희、パク・サンヒ、ぼく・そうき[1]、1906年9月10日 - 1946年10月6日)は、朝鮮独立運動家であり、 ジャーナリストである。 大韓民国の大統領を務めた朴正煕は弟であり[2][3]、元大韓サッカー協会長の朴埈弘は息子、政治家金鍾泌は娘・朴栄玉の夫である。元国会議員の朴在鴻は甥、元大統領の朴槿恵は姪である[4]。
| |
---|---|
民主主義民族戦線善山郡支部事務局局長 | |
個人情報 | |
生誕 | 1906年(光武9年)9月10日 大韓帝国・慶尚北道漆谷郡若木面 |
死没 | 1946年10月6日(41歳没) 韓国・慶尚北道善山郡 |
市民権 |
|
国籍 | 大日本帝国 |
配偶者 | 趙貴盆 (1908年12月16日-1992年11月14日) |
子供 | |
職業 | |
宗教 | 無宗教 |
朴相煕 | |
---|---|
各種表記 | |
ハングル: | 박상희 |
漢字: | 朴相熙 |
発音: | パク・サンヒ |
日本語読み: | ぼく・そうき |
ローマ字: | Park Sang-hui/Park Sang-hee |
生涯
編集慶尚北道漆谷郡若木面(ヤンモンミョン)出身で、本貫は高霊である。朴成彬と白南義の6男2女の三男として生まれた。
日本統治時代の朝鮮に新幹会、1934年、朝鮮中央日報の支局長、1935年、東亜日報の記者などのジャーナリストとして活動した。日本統治時代の1940年代呂運亨が結成した建国同盟で活動したりした。
独立(解放)後は、朝鮮建国準備委員会亀尾支部を創設し、1946年には民主主義民族戦線善山郡(ソンサングン)支部事務局長を引き受けて活動した。大邱10月事件で慶尚北道一帯にデモが広がると、10月1日に警察の銃撃を受けて死亡した。
脚注
編集- ^ http://kajiritate-no-hangul.com/kshanja.html
- ^ 高霊朴氏系図 http://chungheongong.com/(A)/g-1-1-0.htm
- ^ 항일좌익운동가 박상희와 박정희 일가, 대자보.
- ^ 장예진 (2012年12月20日). “그래픽 (박근혜 대통령 당선인 가계도)” (朝鮮語). 연합뉴스. 2023年10月13日閲覧。