本所警察署

東京都墨田区にある警察署

本所警察署(ほんじょけいさつしょ)は、警視庁が管轄する警察署の一つである。第七方面本部所属。大規模警察署であり、署長警視正墨田区の南部を管轄している。

警視庁本所警察署
都道府県警察 警視庁
管轄区域 墨田区の南部
両国亀沢
横網石原本所
東駒形吾妻橋
向島の一部
押上の一部
業平横川太平
錦糸江東橋
菊川立川千歳
課数 8
交番数 12
駐在所数 0
所在地 130-0003
東京都墨田区横川四丁目8番9号
地図
位置 北緯35度41分39.1秒 東経139度47分45.9秒 / 北緯35.694194度 東経139.796083度 / 35.694194; 139.796083座標: 北緯35度41分39.1秒 東経139度47分45.9秒 / 北緯35.694194度 東経139.796083度 / 35.694194; 139.796083
外部リンク 本所警察署
特記事項 1945年(昭和20年)
両国・厩橋・言問・太平の各警察署が統合して改称。
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署員数およそ340名、識別章所属表示はTC。

所在地

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旧庁舎の老朽化のため、2013年3月11日に横川四丁目の東京都立深川商業高等学校跡地の現在地に移転。

管轄区域

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墨田区のうち、以下の町丁を管轄。特記のないものはその町丁の全域を管轄。

  • 両国一・二・三・四丁目
  • 一・二・三・四丁目
  • 亀沢一・二・三・四丁目
  • 横網一・二丁目
  • 石原一・二・三・四丁目
  • 本所一・二・三・四丁目
  • 東駒形一・二・三・四丁目
  • 吾妻橋一・二・三丁目
  • 向島一・二・三丁目、四丁目(14から16番を除く)、五丁目(48から50番を除く)(前記以外の向島四・五丁目は向島警察署の管轄)
  • 押上一丁目、二丁目(27から43番を除く)(前記以外の押上二丁目と三丁目は向島警察署の管轄)
  • 業平一・二・三・四・五丁目
  • 横川一・二・三・四・五丁目
  • 太平一・二・三・四丁目
  • 錦糸一・二・三・四丁目
  • 江東橋一・二・三・四・五丁目
  • 菊川一・二・三丁目
  • 立川一・二・三・四丁目
  • 千歳一・二・三丁目

沿革

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  • 1874年明治7年)1月29日第六大区六小区巡査屯所開設。
  • 1881年(明治14年)1月14日本所元町警察署に昇格。
  • 1890年(明治23年)1月29日:本所相生警察署に改称。
  • 1893年(明治26年)4月1日本所警察署に改称。
  • 1908年(明治41年)2月4日:原庭分署(後の厩橋警察署)、向島分署(後の言問警察署)、太平町分署(後の太平警察署)設置。
  • 1913年大正2年)6月13日本所相生警察署に改称。
  • 1925年(大正14年)3月8日:本所相生警察署は在郷軍人会青年団とのあいだで、風水火災等の非常時に際して在郷軍人2300名、青年団1200名に出動要請を行うために「國體警戒の協定」を締結[1]
  • 1929年昭和4年)10月28日本所両国警察署に改称。
  • 1945年(昭和20年)5月17日:両国警察署、厩橋警察署、言問警察署および太平警察署統合。本所警察署に改称。
  • 2013年平成25年)3月11日:両国4丁目の旧庁舎から現在地に庁舎移転
  • 2015年(平成27年)6月3日:両国交番が両国一丁目12(両国橋の東詰)から両国四丁目29番3号(当署旧庁舎跡地の一部)に移転

組織

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交番

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  • 吾妻橋交番
  • 石原三丁目交番
  • 押上交番
  • 菊川二丁目交番
  • 錦糸町駅北口交番
  • 錦糸町駅南口交番
  • 江東橋交番
  • 言問交番
  • 向島交番
  • 横網交番
  • 横川交番
  • 両国交番
  • 駐在所はない。

地域安全センター

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  • 厩橋地域安全センター
  • 駒形橋地域安全センター

主な未解決事件

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  • 江東橋一丁目マンション敷地内殺人並びに死体遺棄等事件[2]
  • 竪川第一公園内殺人、死体損壊・遺棄事件[3]

主な出来事

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  • 1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災発生。火災などから避難する住民の誘導に当たった署員が殉職。
  • 1928年(昭和3年)4月29日 - 本所公会堂で行われた無産党民衆大会の場外警備に当たっていた警察官が新聞記者に暴行。国会で取り上げられた結果[4]、原庭署署長が辞表を出したほか[5]ほか原庭署、相生署の巡査部長、巡査が退職、転署の処分を受ける。
  • 1967年(昭和42年)9月17日 - 拳銃の奪取を図ろうとした男が錦糸町駅前派出所を襲撃。対応した巡査が格闘の末に逮捕[6]
  • 1969年(昭和44年)10月21日 - 国際反戦デー当日、学生風の男らにより警察署と両国橋東詰交番に火炎瓶が投げつけられる事件が発生した[7]

関連項目

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脚注

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出典

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  1. ^ 警視庁総監官房文書課記録係 1926.
  2. ^ 江東橋一丁目マンション敷地内殺人並びに死体遺棄等事件 警視庁
  3. ^ 竪川第一公園内殺人、死体損壊・遺棄事件 警視庁
  4. ^ 貴族院本会議で緊急質問『東京日日新聞』昭和3年5月2日夕刊(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p332 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  5. ^ 有田所署長は引責辞職『東京日日新聞』昭和3年5月18日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p333)
  6. ^ 「ピストルねらい失敗 工員、格闘の末逮捕」『朝日新聞』昭和42年9月18日朝刊、12版、15面
  7. ^ 「反戦デー 学生ゲリラ相次ぐ NHK放送センターに乱入」『朝日新聞』昭和44年(1969年)10月21日夕刊、3版、1面

参考文献

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参考文献

外部リンク

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