有栖川宮韶仁親王
日本の江戸時代の皇族。有栖川宮7代。二品、中務卿、上総太守
有栖川宮韶仁親王(ありすがわのみや つなひとしんのう)は、江戸時代の皇族。世襲親王家の有栖川宮第7代当主。
有栖川宮韶仁親王 | |
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有栖川宮 | |
有栖川宮韶仁親王 | |
続柄 | |
身位 | 親王 |
敬称 | 殿下 |
出生 |
1785年1月29日 天明4年12月19日 |
死去 |
1845年4月4日(60歳没) 弘化2年2月28日 |
配偶者 | 宣子女王(閑院宮美仁親王の第五王女) |
円明院(豊島勝子) | |
子女 |
有栖川宮幟仁親王 慈性入道親王 公紹入道親王 西園寺公潔 万宮 游亀宮 実種宮 韶子女王 |
父親 | 有栖川宮織仁親王(霊元天皇の皇孫) |
母親 | 常信院(高木敦子) |
役職 |
二品 中務卿 |
生涯
編集父は有栖川宮織仁親王(霊元天皇皇孫)。母は家女房。幼名は若宮。妹に楽宮喬子女王と登美宮吉子女王がいる。徳川慶喜の母方の伯父にあたる。
文化4年(1807年)12月に光格天皇の猶子となり、翌文化5年(1808年)3月に親王宣下。同年5月元服し、三品に叙され、上総太守となる。文化9年(1812年)2月、父・織仁親王の落飾により有栖川宮を相続し、中務卿となった。文政5年(1822年)3月、二品。弘化2年薨去。死に際して一品に叙された。
家系
編集参考文献
編集- 『新修有栖川宮系譜:高松宮藏版』(高松宮編修掛、1940年)