早川彌三郎
日本の裁判官
1869年、三重県にて出生。1893年7月、明治法律学校卒業[1]。1893年12月の弁護士試験に及第して弁護士登録したものの、翌年12月の判事検事登用試験にも及第したため、司法官の道を選んだ。[1]
安濃津区裁判事を皮切りに、 四日市区、名古屋区地裁判事を経て、台湾総督府法院判官に転じた。1907年から約3年半に亘って、司法制度および訴訟手続法の研究のためドイツに留学し、ミュンヘン大学、ハイデルベルク大学、ベルリン大学で学んだ。 帰国後は覆審法院検察官となり、1921年、大審院検事に補された。
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