旧有路家住宅
旧有路家住宅(きゅうありじけじゅうたく)は、山形県最上郡最上町大字堺田にある古民家。江戸時代初期に建てられた当時の庄屋の住宅(民家)である。1969年(昭和44年)12月18日に国の重要文化財(建造物)に指定された。所有者は最上町で、1971年(昭和46年)から1973年(昭和48年)にかけて解体復元修理が行われた。
旧有路家住宅 | |
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旧有路家住宅 正面 | |
所在地 | 山形県最上郡最上町大字堺田59番地の3 |
位置 | 北緯38度44分15.36秒 東経140度36分58.51秒 / 北緯38.7376000度 東経140.6162528度座標: 北緯38度44分15.36秒 東経140度36分58.51秒 / 北緯38.7376000度 東経140.6162528度 |
類型 | 庄屋家屋 |
形式・構造 | 寄棟造、茅葺 |
延床面積 | 桁行25.5m、梁間11.2m[1] |
建築年 | 1661年 |
文化財 | 国の重要文化財 |
概要
編集有路家は、1638年から1647年頃までの間に独立した村となった堺田村で、代々この家に住んで、村の庄屋を勤めた家柄である。建物は役屋(村役場)としての性格を持ち、問屋や旅館としての機能も備えていたとみられている。仙台藩領と新庄藩領の国境を守る役人という立場でもあったとされ、芭蕉により「おくのほそ道」に、封人の家(ほうじんのいえ、国境を守る役人の家)と綴られている[2]。元禄2年5月15日(グレゴリオ暦1689年7月1日)、仙台藩領から出羽国に向かっていた俳人、松尾芭蕉と曽良が、梅雨時の雨のために2泊3日、この家に滞在したといわれている。その時に詠んだ句、「蚤虱 馬の尿する 枕もと」が有名である。付近は1954年(昭和29年)に最上町となる以前は「小国」を名乗る(東小国村)山形県内で随一の馬産地で、江戸時代にも馬を寒さから守ろうと家人の住まう主屋に飼っていたことがこの句の背景にあった。
構造形式
編集桁行(間口)25.5m、梁間(奥行)11.2m、寄棟造、茅葺
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土間
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「なかざしき」から「いりのざしき」を見る
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土間の竈
利用案内
編集- 期間 期間限定 4月~10月(冬季閉鎖)
- 時間 9:00~17:00 料金 120円 - 小中生/250円 - 高校生以上
- 駐車場 20台
所在地
編集- 〒999-6106 山形県最上郡最上町大字堺田59番地の3
アクセス
編集周辺
編集関連項目
編集出典・引用・脚注
編集- 山形県最上町・最上町教育委員会発行 「定重要文化財 旧有路家住宅 封人の家」 パンフレット
外部リンク
編集- 旧有路家住宅(山形県最上郡最上町) - 文化遺産オンライン(文化庁)
- 山形漫歩:封人の家と分水嶺 - 山形県