日沖憲郎
日沖 憲郎(ひおき のりお、1903年7月2日 - 1993年4月8日)は、日本の刑法学者、裁判官、弁護士、法学博士。
三重県出身。小野清一郎らに師事、刑法学者として改正刑法準備草案、ついで改正刑法草案の作成に関わる。戦後政財界の主な汚職事件で弁護団に参加、ロッキード事件では全日空の若狭得治の主任弁護士として活動した。訳書にイェーリング著『権利のための闘争』(岩波文庫)がある。
経歴
編集- 1903年(明治36年)7月2日 三重県松阪市に生まれる
- 1916年(大正5年)3月 仙台市原町尋常小学校を卒業
- 1920年(大正9年)3月 宮城県立仙台第一中学校の第四学年を修了
- 1923年(大正12年)3月 第二高等学校文科二類を卒業
- 1927年(昭和2年)3月 東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業
- 1927年(昭和2年)4月 司法官試補
- 1928年(昭和3年)12月 判事
- 1929年(昭和4年)5月 東京地方裁判所兼東京区裁判所に勤務
- 1929年(昭和4年)8月 東京地方裁判所兼東京区裁判判事
- 1937年(昭和12年)8月 司法事務官となり行刑局に勤務
- 1939年(昭和14年)5月 司法書記官となり行刑局第三課長となる
- 1939年(昭和14年)9月 司法省調査部第三課長となる
- 1942年(昭和17年)2月 東京控訴院判事
- 1945年(昭和20年)3月 東京控訴院部長となり、退職
- 1947年(昭和22年)10月 弁護士登録
- 1948年(昭和23年)4月 明治大学教授(~1950年3月)
- 1952年(昭和27年)10月 日本大学教授(~1973年7月)
- 1959年(昭和34年)3月 司法試験考査委員となる(~1974年)
- 1960年(昭和35年)3月 日本大学から法学博士の学位の授与を受ける(論文タイトルは『犯罪論における違法と責任』[1])
- 1961年(昭和36年)9月 法制審議会刑事法部会委員
- 1963年(昭和38年)7月 法制審議会刑事法特別部会委員
- 1973年(昭和48年)9月 日本大学名誉教授となる
- 1973年(昭和48年)9月 亜細亜大学教授(~1985年3月)
- 1974年(昭和49年)4月 勲二等に叙せられる
- 1993年4月8日 脳血栓により逝去(享年89)
関連人物
編集参考文献
編集- ^ 国立国会図書館. “博士論文『犯罪論における違法と責任』”. 2023年4月7日閲覧。