日永駅
日永駅(ひながえき)は、三重県四日市市日永一丁目にある、四日市あすなろう鉄道内部線および八王子線の駅である。愛称はあすなろう中央緑地駅(あすなろうちゅうおうりょくちえき)[2]。
日永駅 | |
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駅舎(2006年5月) | |
ひなが HINAGA (あすなろう中央緑地駅) | |
所在地 | 三重県四日市市日永一丁目14-6 |
所属事業者 | 四日市あすなろう鉄道 |
電報略号 | ヒナカ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面3線 |
乗車人員 -統計年度- |
452人/日(降車客含まず) -2019年- |
乗降人員 -統計年度- |
979[1]人/日 -2019年- |
開業年月日 | 1912年(大正元年)8月14日 |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | ■内部線 |
キロ程 | 1.8 km(あすなろう四日市起点) |
◄赤堀 (0.8 km) (0.7 km) 南日永► | |
所属路線 | ■八王子線 |
キロ程 | 0.0 km(日永起点) |
◄*(赤堀) (- km) (1.3 km) 西日野► | |
備考 | 無人駅(自動券売機 有) |
* 全列車があすなろう四日市駅まで乗り入れ。 |
内部線と八王子線が当駅で分岐する。八王子線は当駅が起点であるが、全列車が内部線を通してあすなろう四日市駅まで乗り入れる。
歴史
編集- 1912年(大正元年)
- 1916年(大正5年)7月19日:三重軌道が三重鉄道に移管され、同社の駅となる[4]。
- 1922年(大正11年)1月10日:三重鉄道の日永 - 小古曽間が開通[4]。分岐駅に。
- 1944年(昭和19年)2月11日:会社合併により三重交通の駅となる[4]。
- 1964年(昭和39年)2月1日:三重交通の鉄道事業分離譲渡により、三重電気鉄道の駅となる[4]。
- 1965年(昭和40年)4月1日:会社合併により近畿日本鉄道の駅となる[4]。
- 2015年(平成27年)4月1日:四日市あすなろう鉄道に移管。駅施設は四日市市の所有となる。
- 2019年(令和元年)12月23日:当駅の副駅名(愛称)「あすなろう中央緑地駅」を設定[2]。2021年(令和3年)に開催予定だった第76回国民体育大会(三重とこわか国体)の会場にもなる中央緑地への最寄り駅となるため、そのことを啓発するために付けられた[5]。
- 2021年(令和3年)8月21日:ICカード「ICOCA」の利用が可能となる[6][7]。
駅構造
編集単式ホーム1面1線と三角形の形をした島式ホーム1面2線による複合型2面3線ホームの地上駅。両ホームに挟まれた2線(1・2番のりば)が内部方面に、島式ホームの外側の1線(3番のりば)が西日野方面に通じている。内部発着列車同士、及び内部発着列車と西日野発着列車による列車行違いが可能(但しダイヤ上では後者の方が圧倒的に多く、前者については泊駅で行われることが多い)。
駅舎は単式の1番ホーム東側にあり、島式の2・3番のりばへは構内踏切で連絡している。ホーム有効長は3両分。あすなろう四日市駅管理の無人駅である。駅舎内の自動券売機で乗車券を購入可能。ICカードはIC改札機により対応する[6][7]。かつては有人駅で特急券の購入も可能な窓口があった[8]
3番ホームは内部・八王子線における最急曲線(半径100メートル)の外側にあり、列車とホームとの隙間が大きいため乗降には注意が必要である。また、この部分を通過できるように車体長の長いモ260・ク160形車両は車体端部隅部がカットされている。
便所は1番のりばの四日市寄りにあり、水洗式。和風便器は隅付ロータンク式。
かつては3番のりばの反対側にもホーム(4番のりば)があり、3面4線であった(当時は八王子線列車同士の行き違い設備があり、3番のりばが四日市方面、4番のりばが西日野方面だった[9])。現在も廃止されたホームの跡が残っている。内部・八王子線全線が単線自動化される前には、島式の2・3番のりばの四日市方に近鉄四日市駅 - 当駅間の信号・ポイントを制御する信号扱い所(現在は撤去)があった。
島式ホームの奥に、2019年(平成31年)3月20日から特殊狭軌線台車および、三軌間レールの展示が行われている[10]。
のりば
編集のりば | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | ■内部線 | 下り | 内部方面 | |
2 | 上り | 四日市方面 | 内部始発 | |
3 | ■八王子線 | 西日野始発 | ||
下り | 西日野方面 |
-
構内(2008年8月)
-
発着する列車(2015年2月。左は四日市発内部行き、右は西日野発四日市行き)
-
西日野行き電車とホーム遠景(2009年4月)
-
特殊狭軌線台車・三軌間レール展示(2019年5月)
-
特殊狭軌線台車・三軌間レール展示(2019年12月、別角度から)
当駅乗降人員
編集近年における当駅の1日乗降人員の調査結果は以下の通り(但し、下記は当時全て近畿日本鉄道での集計である)[11]。
- 2012年11月13日:939人
- 2010年11月9日:1,018人
- 2008年11月18日:930人
- 2005年11月8日:908人
利用状況
編集「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである[12]。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
---|---|
1997年 | 650 |
1998年 | 594 |
1999年 | 539 |
2000年 | 509 |
2001年 | 470 |
2002年 | 460 |
2003年 | 462 |
2004年 | 454 |
2005年 | 453 |
2006年 | 477 |
2007年 | 469 |
2008年 | 457 |
2009年 | 424 |
2010年 | 445 |
2011年 | 448 |
2012年 | 449 |
2013年 | 453 |
2014年 | 453 |
2015年 | 482 |
2016年 | 442 |
2017年 | 438 |
2018年 | 452 |
2019年 | 452 |
日永駅の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別利用状況(日永駅) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特 記 事 項 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1958年(昭和33年) | 219,545 | ←←←← | 139,456 | 359,001 | |||
1959年(昭和34年) | ←←←← | ||||||
1960年(昭和35年) | ←←←← | ||||||
1961年(昭和36年) | ←←←← | ||||||
1962年(昭和37年) | ←←←← | ||||||
1963年(昭和38年) | ←←←← | ||||||
1964年(昭和39年) | ←←←← | ||||||
1965年(昭和40年) | 280,640 | ←←←← | 170,624 | 451,264 | |||
1966年(昭和41年) | 284,250 | ←←←← | 180,247 | 464,497 | |||
1967年(昭和42年) | 286,230 | ←←←← | 170,020 | 456,250 | |||
1968年(昭和43年) | 271,110 | ←←←← | 176,563 | 447,673 | |||
1969年(昭和44年) | 288,390 | ←←←← | 185,675 | 474,065 | |||
1970年(昭和45年) | 315,090 | ←←←← | 172,798 | 487,888 | |||
1971年(昭和46年) | 313,710 | ←←←← | 148,386 | 462,096 | |||
1972年(昭和47年) | 285,390 | ←←←← | 119,983 | 405,373 | |||
1973年(昭和48年) | 293,130 | ←←←← | 116,105 | 409,235 | |||
1974年(昭和49年) | 285,900 | ←←←← | 120,135 | 406,035 | |||
1975年(昭和50年) | 270,240 | ←←←← | 122,120 | 392,360 | |||
1976年(昭和51年) | 258,000 | ←←←← | 101,006 | 359,006 | |||
1977年(昭和52年) | 260,760 | ←←←← | 103,214 | 363,974 | |||
1978年(昭和53年) | 265,530 | ←←←← | 106,556 | 372,086 | |||
1979年(昭和54年) | 246,900 | ←←←← | 97,588 | 344,488 | |||
1980年(昭和55年) | 229,980 | ←←←← | 92,841 | 322,821 | |||
1981年(昭和56年) | 222,180 | ←←←← | 83,622 | 305,802 | |||
1982年(昭和57年) | 207,270 | ←←←← | 86,791 | 294,061 | 11月16日 | 1,421 | |
1983年(昭和58年) | 202,770 | ←←←← | 88,784 | 291,554 | 11月8日 | 1,560 | |
1984年(昭和59年) | 184,830 | ←←←← | 91,649 | 276,479 | 11月6日 | 1,344 | |
1985年(昭和60年) | 171,930 | ←←←← | 98,840 | 270,770 | 11月12日 | 1,264 | |
1986年(昭和61年) | 171,900 | ←←←← | 107,756 | 279,656 | 11月11日 | 1,357 | |
1987年(昭和62年) | 167,640 | ←←←← | 102,492 | 270,132 | 11月10日 | 1,378 | |
1988年(昭和63年) | 169,920 | ←←←← | 100,441 | 270,361 | 11月8日 | 1,301 | |
1989年(平成元年) | 160,170 | ←←←← | 91,602 | 251,772 | 11月14日 | 1,297 | |
1990年(平成2年) | 154,800 | ←←←← | 90,801 | 245,601 | 11月6日 | 1,216 | |
1991年(平成3年) | 160,620 | ←←←← | 87,542 | 248,162 | |||
1992年(平成4年) | 168,570 | ←←←← | 74,142 | 242,712 | 11月10日 | 1,252 | |
1993年(平成5年) | 171,720 | ←←←← | 79,451 | 251,171 | |||
1994年(平成6年) | 170,670 | ←←←← | 74,214 | 244,884 | |||
1995年(平成7年) | 163,140 | ←←←← | 77,041 | 240,181 | 12月5日 | 1,251 | |
1996年(平成8年) | 169,020 | ←←←← | 75,956 | 244,976 | |||
1997年(平成9年) | 164,550 | ←←←← | 72,720 | 237,270 | |||
1998年(平成10年) | 147,480 | ←←←← | 69,182 | 216,662 | 11月10日 | 1,131 | |
1999年(平成11年) | 138,660 | ←←←← | 58,761 | 197,421 | |||
2000年(平成12年) | 129,180 | ←←←← | 56,621 | 185,801 | |||
2001年(平成13年) | 116,220 | ←←←← | 55,429 | 171,649 | |||
2002年(平成14年) | 113,640 | ←←←← | 54,435 | 168,075 | |||
2003年(平成15年) | 114,330 | ←←←← | 54,791 | 169,121 | 11月11日 | 948 | |
2004年(平成16年) | 112,260 | ←←←← | 53,613 | 165,873 | |||
2005年(平成17年) | 113,340 | ←←←← | 52,138 | 165,478 | 11月8日 | 908 | |
2006年(平成18年) | 120,960 | ←←←← | 53,129 | 174,089 | |||
2007年(平成19年) | 118,890 | ←←←← | 52,731 | 171,621 | |||
2008年(平成20年) | 114,420 | ←←←← | 52,509 | 166,929 | 11月5日 | 930 | |
2009年(平成21年) | ←←←← | ||||||
2010年(平成22年) | ←←←← | ||||||
2011年(平成23年) | ←←←← | ||||||
2012年(平成24年) | ←←←← | ||||||
2013年(平成25年) | ←←←← | ||||||
2014年(平成26年) | ←←←← | ||||||
2015年(平成27年) | ←←←← | ||||||
2016年(平成28年) | ←←←← |
駅周辺
編集鹿化川と天白川に間にあり、民家が多く建つ。近隣には寺院や老舗の旅館もある。都市計画道路は駅西側、国道1号は駅東側を通るが、国道は駅から少し離れた所を通る。なお、副駅名の中央緑地公園は国道付近にあり、当駅から約900 m(徒歩約15分)である[5]。
バス路線
編集割烹旅館太田館の前に三重交通「日永駅前」停留所があり、水沢(室山)線が経由する。
- 備考
- JR四日市行きは近鉄四日市経由、逆方向は宮妻口を経由する。
- 64系統は平日早朝1便のみ運行。
隣の駅
編集脚注
編集- ^ “令和元年度移動等円滑化取組報告書(鉄道駅)” (PDF). 四日市あすなろう鉄道. 2021年4月18日閲覧。
- ^ a b 『国体開催に向けた四日市あすなろう鉄道の利用促進について』(プレスリリース)四日市市都市整備部都市計画課、2019年12月11日。オリジナルの2021年8月28日時点におけるアーカイブ 。2021年8月28日閲覧。
- ^ a b 近畿日本鉄道株式会社『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年12月、71,688頁。全国書誌番号:21906373。
- ^ a b c d e 曽根悟(監修)『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』 2号 近畿日本鉄道 1、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年8月22日、18-23頁。ISBN 978-4-02-340132-7。
- ^ a b “四日市市 あすなろう・日永駅に愛称 三重国体で鉄道利用啓発”. 伊勢新聞 (2019年12月12日). 2020年8月17日閲覧。
- ^ a b “交通系ICカードシステムの導入について”. 四日市あすなろう鉄道 (2021年8月3日). 2021年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月19日閲覧。
- ^ a b “四日市市 あすなろう鉄道 ICカードシステム導入、21日から 三重”. 伊勢新聞. (2021年8月4日). オリジナルの2021年8月4日時点におけるアーカイブ。 2021年9月19日閲覧。
- ^ 『近鉄時刻表』1994年号より
- ^ 『ヤマケイのレイルシリーズ7 大阪の電車(京阪神の国電・私鉄)』山と渓谷社、1980年、p.79掲載の写真による。
- ^ 四日市あすなろう鉄道日永駅で台車,車輪,車軸が常設展示される - 交友社『鉄道ファン』railf.jp鉄道ニュース 2019年5月18日
- ^ 駅別乗降人員 八王子線 内部線 - 近畿日本鉄道
- ^ 三重県統計書 - 三重県
- ^ “割烹旅館・うなぎ料理 太田館”. 太田館. 2023年5月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月27日閲覧。