新建築
日本の雑誌
沿革
編集1925年(大正14年)8月、吉岡保五郎により大阪で創刊された[2]。
1950年代半ばに当時編集長であった川添登のもとで「伝統論争」を仕掛けるなど、建築ジャーナリズムの確立に大きな役割を果たした[3][4][5][6][7]。一方、1957年8月号で村野藤吾設計の「有楽町そごう」に批評的な記事が掲載されたことをきっかけに、吉岡保五郎が編集部全員に解雇を通告したいわゆる「新建築問題」が発生した[8][6][7]。
新建築住宅特集
編集『新建築』誌で年2回組まれていた「住宅特集」が、1985年5月に季刊誌として独立したもの。1986年5月に月刊化[9]。個人住宅を中心に扱う。原則として、掲載作品は『新建築』とは重複しない。
『新建築』に関連する建築設計競技及び賞
編集新建築社は、『新建築』の名を冠する建築設計競技(コンペ)である「新建築住宅設計競技」を、吉岡文庫育英会[注釈 1]と共催している[11]。
また、吉岡文庫育英会が主催する住宅建築の新人賞である吉岡賞は、『新建築住宅特集』及び『新建築』に掲載された住宅作品を対象とするもので、2008年度(平成20年度)から2012年度(平成24年度)までは新建築賞という名称であった[12]。
関連する人物
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “新建築”. 株式会社新建築社. 2021年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月22日閲覧。
- ^ 田中栄治「雑誌『新建築』にみる大正から昭和初期の関西の住宅--阪神間のモダニズム住宅(その4)」『神戸山手大学紀要』、神戸山手大学、2009年12月20日、59 - 72頁。
- ^ “川添登”. 東文研アーカイブデータベース. 独立行政法人国立文化財機構 東京文化財研究所. 2022年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月22日閲覧。
- ^ 塩原裕樹. “伝統論争”. 現代美術用語辞典ver.2.0. 2021年1月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月22日閲覧。
- ^ “縄文と弥生”. 建築討論WEB. 日本建築学会建築討論委員会 (2017年8月16日). 2021年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月22日閲覧。
- ^ a b c “川添登オーラル・ヒストリー 2009年3月24日”. 日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ (2009年6月1日). 2014年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月22日閲覧。
- ^ a b c “川添登オーラル・ヒストリー 2009年4月3日”. 日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ (2009年6月15日). 2014年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月22日閲覧。
- ^ 「特集2 著書の解題-1 『空間へ』 磯崎 新 [対談]時代を画した書籍 1:全編予告編だった『空間へ』 - 磯崎 新×内藤 廣」(PDF)『INAX REPORT』No.167、LIXIL、2006年7月、22頁、 オリジナルの2021年8月12日時点におけるアーカイブ。
- ^ “新建築住宅特集”. 株式会社新建築社. 2022年2月7日閲覧。
- ^ “ご挨拶・設立の趣旨”. 一般財団法人 吉岡文庫育英会. 2022年2月7日閲覧。
- ^ “新建築住宅設計競技2020”. 株式会社新建築社. 2022年2月7日閲覧。
- ^ “平成20年度事業状況報告”. 一般財団法人 吉岡文庫育英会. 2022年2月7日閲覧。
- ^ “原点に「廃墟」 戦後の建築ジャーナリズム開拓した宮内嘉久の軌跡”. 毎日新聞. (2021年4月13日). オリジナルの2021年4月13日時点におけるアーカイブ。
- ^ “建築評論家の馬場璋造氏死去”. 時事ドットコム. (2021年12月22日). オリジナルの2021年12月22日時点におけるアーカイブ。
- ^ 『『新建築』元編集長・中谷正人氏が特別生出演!「ボロンde学校 長期優良住宅化リフォーム塾~省エネ・劣化対策編~」講義に抽選で30名様をご招待いたします。』(プレスリリース)日本ボレイト株式会社、2014年3月3日。オリジナルの2014年8月26日時点におけるアーカイブ 。