播磨屋 (歌舞伎)

日本の歌舞伎の屋号

播磨屋(はりまや)は、歌舞伎役者の屋号

初代中村歌六は、大坂三井番頭・丹波屋甚助の子に生まれたが、播磨屋作兵衛の養子に出された。播磨屋の屋号はこれに由来する[1]三代目中村歌六の長男が、「大播磨」(おおはりま)と呼ばれた初代中村吉右衛門である。

中村歌六は五代目のとき、中村歌昇は三代目のとき、中村時蔵は五代目のときに、いずれも屋号を「萬屋」に替えたが、このうち五代目歌六・三代目歌昇(2人は実兄弟)は後年、播磨屋に復帰している(詳細は「萬屋」の項を参照)。

播磨屋の代表的な名跡には以下のものがある。なお、参考までに定紋も併せて記した。

屋号 名跡 定紋 備考
はりまや
播磨屋
なかむら きちえもん
中村吉右衛門
あげはちょう
揚羽蝶
はりまや
播磨屋
なかむら かろく
中村歌六
あげはちょう
揚羽蝶
五代目は
一時期「萬屋」。
はりまや
播磨屋
なかむら またごろう
中村又五郎
あげはちょう
揚羽蝶
はりまや
播磨屋
なかむら きちのじょう
中村吉之丞
あげはちょう
揚羽蝶
はりまや
播磨屋
なかむら かしょう
中村歌昇
あげはちょう
揚羽蝶
三代目は
一時期「萬屋」。
はりまや
播磨屋
なかむら よねきち
中村米吉
あげはちょう
揚羽蝶
はりまや
播磨屋
なかむら たねのすけ
中村種之助
あげはちょう
揚羽蝶
はりまや
播磨屋
なかむら たねたろう
中村種太郎
あげはちょう
揚羽蝶
はりまや
播磨屋
なかむら ときぞう
中村時蔵
あげはちょう
揚羽蝶
四代目まで。
五代目以降は「萬屋」。
はりまや
播磨屋
なかむら もしお
中村もしほ
あげはちょう
揚羽蝶
はりまや
播磨屋
いちかわ えびじゅうろう
市川鰕十郎
(不詳)
はりまや
播磨屋
いちかわ いちぞう
市川市蔵
(不詳)
はりまや
播磨屋
せき さんじゅうろう
關三十郎
(不詳) 二代目が一時期。
以後は「尾張屋」。

出典

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  1. ^ 播磨屋」『デジタル大辞泉プラス、デジタル大辞泉、百科事典マイペディア、精選版 日本国語大辞典』https://kotobank.jp/word/%E6%92%AD%E7%A3%A8%E5%B1%8Bコトバンクより2023年1月13日閲覧 

関連項目

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