徳大寺公迪
江戸時代後期の公卿
徳大寺 公迪(とくだいじ きんみち)は、江戸時代後期の公卿。官位は正二位・権大納言。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 明和8年6月19日(1771年7月30日) |
死没 | 文化8年7月25日(1811年9月12日) |
官位 | 正二位、権大納言 |
主君 | 光格天皇 |
氏族 | 徳大寺家 |
父母 | 父:徳大寺実祖、母:不詳 |
兄弟 | 公迪、清水谷実揖、実繁、泰君(浅野斉賢継室) |
妻 | 今出川実種の娘 |
子 | 言成、養子:実堅 |
経歴
編集安永9年(1780年)に叙爵。以降累進して、右近衛権少将や右近衛権中将を経て、天明6年(1786年)に従三位となり公卿に列する。寛政8年(1796年)には権中納言となり、寛政10年(1798年)には中宮欣子内親王の中宮権大夫となった。寛政12年(1800年)からは権大納言となり、文化元年(1804年)から文化8年(1811年)にかけては後桜町上皇の院御厩別当となり、文化2年(1805年)には踏歌節会内弁をつとめる。
系譜
編集出典
編集関連項目
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