布袋鎮
布袋鎮(ブーダイ/ほてい-ちん)は台湾嘉義県南西部に位置する鎮。
別称: 布袋嘴 | |
地理 | |
---|---|
位置 |
北緯22°55' 東経120°21' |
面積: | 61.7307 km² |
各種表記 | |
繁体字: | 布袋 |
日本語読み: | ほてい、ほたい |
拼音: | Bùdài |
注音符号: | ㄅㄨˋㄉㄞˋ |
片仮名転写: | ブーダイ |
台湾語: | Pòo-tē |
客家語: | Pu-thoi |
行政 | |
行政区分: | 鎮 |
上位行政区画: | 嘉義県 |
下位行政区画: | 23里375鄰 |
布袋鎮長: | 陳鳳梅 |
公式サイト: | 布袋鎮公所 |
情報 | |
総人口: | 27,930 人(2016年1月) |
世帯数: | 10,035 戸(2016年1月) |
郵便番号: | 625 |
市外局番: | 05 |
布袋鎮の木: | - |
布袋鎮の花: | - |
布袋鎮の鳥: | - |
地理
編集布袋鎮は南北に細長い形状となっており、東は義竹郷と、北は朴子市、東石郷と、南は八掌渓を隔てて台南市北門区と接し、西は台湾海峡に面している。台湾西部の嘉南平原沿岸地域の中心となっている。嘉義市への通勤率は約7.5%。
歴史
編集布袋の旧称は「布袋嘴」と称す。明末には大陸、澎湖間の通航が活発となり、また福建、廈門との最短距離に位置していたため船便が多く設けられていた。戦後初期には台湾と大陸との経済及び文化交流の門戸として繁栄した。
信仰
編集経済
編集行政区
編集地区 | 里 |
---|---|
布袋嘴 | 岱江里、九龍里、岑海里、興中里、光復里 |
過溝 | 西安里、中安里、東安里 |
新厝仔 | 新厝里、龍江里 |
新塭 | 新民里、復興里 |
その他 | 見龍里、樹林里、貴舎里、永安里、東港里、江山里、菜舗里、考試里、振寮里、新岑里、好美里 |
歴代鎮長
編集代 | 氏名 | 所属政党 | 任期 |
初代 | 蔡 安 | 無所属 | 1951年8月—1953年8月 |
第2代 | 張輝塔 | 無所属 | 1953年8月—1956年8月 |
第3代 | 蔡崇烈 | 無所属 | 1956年8月—1960年10月 |
第4代 | 蔡 寬 | 無所属 | 1960年10月—1964年2月28日 |
第5代 | 蔡崇烈 | 無所属 | 1964年3月1日—1968年2月28日 |
第6代 | 蔡 寬 | 無所属 | 1968年3月1日—1972年4月 |
第7代 | 蔡 寬 | 無所属 | 1973年4月—1977年12月29日 |
第8代 | 林窿滾 | 無所属 | 1977年12月30日—1982年2月28日 |
第9代 | 蕭金爐 | 無所属 | 1982年3月1日—1986年2月28日 |
第10代 | 林窿滾 | 無所属 | 1986年3月1日—1990年2月28日 |
第11代 | 蔡啓芳 | 民主進歩党 | 1990年3月1日—1994年2月28日 |
第12代 | 蔡長雄 | 民主進歩党 | 1994年3月1日—1998年2月28日 |
第13代 | 蔡祝河 | 中国国民党 | 1998年3月1日—2002年2月28日 |
第14代 | 蔡祝河 | 中国国民党 | 2002年3月1日—2006年2月28日 |
第15代 | 蔡啓東 | 無所属 | 2006年3月1日—2008年11月23日 |
第15代(代理) | 英文行 | 無所属 | 2008年11月24日—2010年2月28日 |
第16代 | 蔡坤彬 | 民主進歩党→無所属 | 2008年11月24日—2010年2月28日 |
第17代 | 陳鳳梅 | 民主進歩党 | 2014年12月25日—現任 |
教育
編集国民中学
編集国民小学
編集交通
編集種別 | 事業者 | 路線名称 | その他 |
---|---|---|---|
バス | 嘉義客運 | 7209 嘉義-布袋 | |
バス | 阿里山客運 | 168 高鉄嘉義駅-高跟鞋教堂 | 嘉義県市区バス |
省道 | 交通部公路総局 | 台17線 | 浜海公路 |
省道 | 交通部公路総局 | 台61線 | 西浜快速公路 |
観光
編集名物
編集出身有名人
編集関連項目
編集外部リンク
編集