岩手郡
岩手県の郡
人口30,616人、面積1,404.24km²、人口密度21.8人/km²。(2024年11月1日、推計人口)
以下の3町を含む。
盛岡都市圏の北部を占める。
郡域
編集岩手郡(第1次)
編集1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね下記の区域にあたる。
岩手郡(第2次)
編集歴史
編集古代
編集811年(弘仁2年)斯波・和我・稗縫の「志波三郡」が成立、「胆沢三郡(胆沢・江刺・磐井)」とともに「律令期の六郡」が成立する。812年(弘仁3年)に徳丹城が築かれ政治的機能が移り、志波三郡以北の統帥権も「鎮守府領六郡」として集約される。10世紀、斯波郡の領域が北遷拡大し、岩手郡は斯波郡から分離独立し成立した。一方、磐井郡は国府多賀城領に編入され、岩手・志和・稗抜・和賀・江刺・伊沢の「奥六郡」が成立した[1]。
郡名は「岩出の森」に由来するという説がある。文献に表れるのは、平城天皇の御代に陸奥国磐手の郡から献上された鷹を愛で、帝がつけた名前「磐手(いはて)」(大和物語第152段)が最初という。大納言はこの鷹を取り逃がしてしまい、奏じるのを躊躇っていたがついに口にすると、これを嘆いた帝は何も言わなかった。なぜ何もおっしゃらないのかと問うと、「いはて思ふぞ言ふにまされる」(言わないことこそが言うことよりも思いは勝るのだ/言わぬ程に磐手を深く思っている)と鷹の名に掛けて詠じたという。この歌は、古今和歌集の本歌取りで、源氏物語でも引用されている。同音である「岩手=言わで」「口無し=梔子」の連想から、「言いたくても言えない切なさ」を表す歌枕となり、平安文学の世界では、梔子染めの山吹色が「岩手の里」の情景を示す言葉となった。
岩手郡(第1次)
編集- 所属町村の変遷は南岩手郡#郡発足までの沿革、北岩手郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照
- 「旧高旧領取調帳」の記載によると、幕末時点では陸奥国に所属し、盛岡藩領であった。(1町85村)
- 明治元年
- 明治2年7月22日(1869年8月29日) - 白石藩が旧領に復帰して盛岡藩が復活し、再び盛岡藩の管轄となる。
- 明治4年
- 明治4年
- 中野村が東中野村に改称。
- 盛岡城の廃城により、城内が内丸に改称して仁王村に編入。盛岡城下各町が仁王村、志家村、仙北町村、東中野村、新庄村、加賀野村、山岸村、三割村、上田村に字地として編入。(85村)
- 明治5年1月8日(1872年2月16日) - 盛岡県(第3次)が岩手県に改称。
- 明治11年(1878年)11月26日
- 明治12年(1879年)1月4日 - 分割され、仁王村ほか48村の区域をもって南岩手郡が、大更村ほか37村の区域をもって北岩手郡がそれぞれ発足。同日岩手郡(第1次)廃止。
岩手郡(第2次)
編集- 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行により、南岩手郡・北岩手郡の区域をもって岩手郡(第2次)が発足。郡役所が盛岡市内丸に設置。以下の町村が所属。(1町24村)
- 大正2年(1913年)6月10日 - 厨川村の一部(盛岡駅周辺と陸羽街道沿い[注釈 2])が盛岡市に編入。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和3年(1928年)4月1日 - 米内村が盛岡市に編入。(1町23村)
- 昭和15年(1940年)
- 1月1日 - 厨川村が盛岡市に編入。(1町22村)
- 12月23日 - 雫石村が町制施行して雫石町となる。(2町21村)
- 昭和16年(1941年)4月10日 - 浅岸村・中野村・本宮村が盛岡市に編入。(2町18村)
- 昭和17年(1942年)7月1日 - 「岩手紫波地方事務所」が盛岡市に設置され、紫波郡とともに管轄。
- 昭和23年(1948年)7月1日 - 九戸郡葛巻町・江刈村の所属郡が本郡に変更。(3町19村)
- 昭和29年(1954年)4月1日 - 玉山村・渋民村・藪川村が合併し、改めて玉山村が発足。(3町17村)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和31年(1956年)9月30日 - 大更村・平舘村・田頭村・寺田村が合併して西根村が発足。(3町4村)
- 昭和36年(1961年)11月1日 - 西根村が町制施行して西根町となる。(4町3村)
- 平成14年(2002年)4月1日 - 二戸郡安代町を岩手郡に編入。(5町3村)
- 平成17年(2005年)9月1日 - 安代町・西根町・松尾村が合併して八幡平市が発足し、郡より離脱。(3町2村)
- 平成18年(2006年)1月10日 - 玉山村が盛岡市に編入。(3町1村)
- 平成26年(2014年)1月1日 - 滝沢村が市制施行して滝沢市となり、郡より離脱。(3町)
変遷表
編集自治体の変遷
旧郡 | 明治29年3月29日 | 明治29年 - 大正15年 | 昭和元年 - 昭和28年 | 昭和29年 - 昭和63年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
南岩手郡 | 雫石村 | 雫石村 | 昭和15年12月23日 町制 雫石町 |
昭和30年4月1日 雫石町 |
雫石町 | 雫石町 | ||
御明神村 | 御明神村 | 御明神村 | ||||||
御所村 | 御所村 | 御所村 | ||||||
西山村 | 西山村 | 西山村 | ||||||
滝沢村 | 滝沢村 | 滝沢村 | 滝沢村 | 平成26年1月1日 市制 滝沢市 |
滝沢市 | |||
米内村 | 米内村 | 昭和3年4月1日 盛岡市に編入 |
盛岡市 | 盛岡市 | 盛岡市 | |||
厨川村 | 厨川村 | 昭和15年1月1日 盛岡市に編入 | ||||||
浅岸村 | 浅岸村 | 昭和16年4月10日 盛岡市に編入 | ||||||
中野村 | 中野村 | |||||||
本宮村 | 本宮村 | |||||||
簗川村 | 簗川村 | 簗川村 | 昭和30年2月1日 盛岡市に編入 | |||||
太田村 | 太田村 | 太田村 | 昭和30年4月1日 盛岡市に編入 | |||||
玉山村 | 玉山村 | 玉山村 | 昭和29年4月1日 玉山村 |
平成18年1月10日 盛岡市に編入 | ||||
藪川村 | 藪川村 | 藪川村 | ||||||
北岩手郡 | 渋民村 | 渋民村 | 渋民村 | |||||
巻堀村 | 巻堀村 | 巻堀村 | 昭和30年6月1日 玉山村に編入 | |||||
沼宮内町 | 沼宮内町 | 沼宮内町 | 昭和30年7月21日 岩手町 |
岩手町 | 岩手町 | |||
一方井村 | 一方井村 | 一方井村 | ||||||
川口村 | 川口村 | 川口村 | ||||||
御堂村 | 御堂村 | 御堂村 | ||||||
大更村 | 大更村 | 大更村 | 昭和31年9月30日 西根村 |
昭和36年11月1日 町制 西根町 |
西根町 | 平成17年9月1日 八幡平市 |
八幡平市 | |
平舘村 | 平舘村 | 平舘村 | ||||||
寺田村 | 寺田村 | 寺田村 | ||||||
田頭村 | 田頭村 | 田頭村 | ||||||
松尾村 | 松尾村 | 松尾村 | 松尾村 | 松尾村 | ||||
二戸郡 | 二戸郡 荒沢村 |
二戸郡 荒沢村 |
二戸郡 荒沢村 |
昭和31年9月30日 二戸郡 安代町 |
平成14年4月1日 岩手郡 安代町 | |||
二戸郡 田山村 |
二戸郡 田山村 |
二戸郡 田山村 | ||||||
二戸郡 田部村 |
二戸郡 田部村 |
二戸郡 田部村 |
昭和30年7月15日 葛巻町 |
葛巻町 | 葛巻町 | |||
北九戸郡 | 九戸郡 葛巻村 |
昭和15年2月25日 九戸郡 葛巻町 |
昭和23年7月1日 岩手郡 葛巻町 | |||||
九戸郡 江刈村 |
九戸郡 江刈村 |
昭和23年7月1日 岩手郡 江刈村 |
行政
編集- 岩手郡長(第1次)
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治11年(1878年)11月26日 | 明治12年(1879年)1月3日 | 分割により岩手郡廃止 |
- 岩手郡長(第2次)
特記なき場合『岩手郡誌』による[2]。
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 松橋宗之 | 明治30年(1897年)4月1日 | 明治33年(1900年)4月21日 | 北岩手・南岩手・紫波郡長より転任 |
2 | 太田時敏 | 明治33年(1900年)4月21日 | 明治33年(1900年)10月27日 | |
3 | 原恭 | 明治33年(1900年)10月27日 | 明治38年(1905年)6月29日 | |
4 | 長谷川四郎 | 明治38年(1905年)6月29日 | 明治43年(1910年)10月20日 | |
5 | 勝俟元長 | 明治43年(1910年)10月20日 | 大正2年(1913年)5月29日 | |
6 | 尾形亀寿 | 大正2年(1913年)5月29日 | 大正8年(1919年)11月17日 | |
7 | 関壮二 | 大正8年(1919年)11月17日 | 大正12年(1923年)2月23日 | |
8 | 一方井卓爾 | 大正12年(1923年)2月23日 | 大正12年(1923年)8月20日 | |
9 | 佐藤二郎 | 大正12年(1923年)8月20日 | 大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 「奥六郡」と呼ばれた岩手
- ^ 岩手県教育会岩手郡部会 1941, 477-478頁.
参考資料
編集- 『岩手郡誌』岩手県教育会岩手郡部会、1941年 。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 3 岩手県、角川書店、1985年2月7日。ISBN 4040010302。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
編集先代 ----- |
行政区の変遷 - 1879年 (第1次) |
次代 南岩手郡・北岩手郡 |
先代 南岩手郡・北岩手郡 |
行政区の変遷 1897年 - (第2次) |
次代 (現存) |