岡野昇
日本の土木工学者、鉄道官僚、実業家
岡野 昇(おかの のぼる、1876年(明治9年)6月14日[1] - 1949年(昭和24年)4月28日[1])は、明治時代後期から昭和時代前期の土木工学者、鉄道官僚、実業家。
経歴・人物
編集東京市出身[2]。1899年(明治32年)東京帝国大学工科大学土木科を卒業し、日本鉄道技師となり水戸保線事務所長を発令される[2]。1905年(明治38年)信号や連鎖装置の視察のため[3]欧米諸国の出張を経て[1]、翌年同社が解散すると逓信省鉄道作業局に転じ、ベルリンに学んだ[1]。ついで、帝国鉄道庁技師、鉄道院技師兼内務技師、鉄道院工務局長、鉄道省工務局長を経て、1924年(大正13年)鉄道次官に就任した[1][2]。
のち実業界に転じ、西武鉄道[注 1]副社長を経て、1926年(大正15年)同社社長に就任。ほか、秩父鉄道・理研工作機械各役員、鉄道会議議員、大阪市顧問、信号協会会長など要職を歴任した[1]。
親族
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 当時の西武鉄道は、川越鉄道が改称した旧社で、後にこの西武鉄道を合併した武蔵野鉄道(合併後に西武鉄道に改称し、現在の西武鉄道の本流となる)からは傍系に当たる。
出典
編集- ^ a b c d e f “歴代会長紹介”. 公益社団法人 土木学会. 2019年9月5日閲覧。
- ^ a b c d 人事興信所 1928, オ190頁.
- ^ 高橋、藤井 2013, 149頁.
- ^ 人事興信所 1981, お321、お322頁.
- ^ 人事興信所 1915, を121頁.
参考文献
編集- 人事興信所『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 人事興信所『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 高橋裕、藤井肇男 共著『近代日本土木人物事典: 国土を築いた人々』鹿島出版会、2013年。ISBN 4306094294。