山本康忠
安土桃山時代の武将
山本 康忠(やまもと やすただ)は、安土桃山時代の武将。紀伊山本氏最後の当主。紀伊国龍松山城[1]主。
時代 | 安土桃山時代 |
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生誕 | 永禄3年(1560年)? |
死没 | 天正14年(1586年) |
官位 | 主膳正 |
氏族 | 紀伊山本氏 |
父母 | 父:山本忠朝 |
略歴
編集永禄3年(1560年)頃、山本忠朝の子として龍松山城で誕生。永禄9年(1566年)、父・忠朝が死亡すると叔父・山本弘元との間で家督争いが起きる。弘元は小山氏、安宅氏らを近隣の国人を味方につけたが、重臣の田上朝康(右京進)とその一族らの活躍でこれに勝利し家督を継いだ。
天正13年(1585年)より羽柴秀吉より紀州征伐を受け、居城龍松山城にて3ヶ月間の籠城するも、翌年の和睦の席で藤堂高虎に謀殺されて山本氏は滅亡した。