山崎町 (兵庫県)
日本の兵庫県宍粟郡にあった町
山崎町(やまさきちょう)は、兵庫県の中西部(西播磨地区)にあった町。旧宍粟郡。
やまさきちょう 山崎町 | |||||
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廃止日 | 2005年4月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 山崎町、一宮町、波賀町、千種町→宍粟市 | ||||
現在の自治体 | 宍粟市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 近畿地方 | ||||
都道府県 | 兵庫県 | ||||
郡 | 宍粟郡 | ||||
市町村コード | 28521-8 | ||||
面積 | 178.89 km2 | ||||
総人口 |
25,282人 (推計人口、2005年3月1日) | ||||
隣接自治体 | 千種町、波賀町、一宮町、安富町、揖保郡新宮町、佐用郡三日月町、南光町 | ||||
町の木 | ひのき | ||||
町の花 | さつき | ||||
山崎町役場 | |||||
所在地 |
〒671-2598 兵庫県宍粟郡山崎町鹿沢78-7 | ||||
外部リンク | 山崎町(Internet Archive) | ||||
座標 | 北緯35度00分15秒 東経134度32分24秒 / 北緯35.00425度 東経134.53994度座標: 北緯35度00分15秒 東経134度32分24秒 / 北緯35.00425度 東経134.53994度 | ||||
ウィキプロジェクト |
2005年に山崎町・一宮町・波賀町・千種町が4町合併して宍粟市となったため、地方自治体として消滅した。現在、旧町域は「宍粟市山崎町○○」の町丁名になっている。
地理
編集兵庫県の中西部に位置した。古来から山崎藩の城下町(のち陣屋町)、因幡街道を介した山陽と山陰の結節点、揖保川水運の中心として維新後も昭和期に郡制が廃止されるまで宍粟郡の郡役所が所在するなど、古くから宍粟郡の中心市街として発展してきた。
現在でも姫路市・鳥取市を結ぶ国道29号と京阪神・中国地方を結ぶ中国自動車道の交点であり交通の要衝となっている。またジャスコなど大型ロードサイド店舗が進出し、播磨北西部(宍粟郡・佐用郡)の中心市街となった。
隣接していた自治体
編集歴史
編集古来から因幡街道による山陽と山陰の結節点として発展し、江戸時代には本多家山崎藩1万石の城下町として一層の発展を遂げた。また、1621年(元和7年)には、町内在住の龍野屋孫兵衛により揖保川水運が開かれ、高瀬舟の就航が可能となり、郡内の物資の集積地としてより一層の発展が進んだ。
維新後、廃藩置県により山崎藩が廃され山崎県が置かれたが、のち姫路県(飾磨県)に統合され、再び兵庫県に統合され現在に至る。
宍粟市の発足により、旧山崎町役場は山崎市民局となったが、2009年(平成21年)3月に宍粟市役所の新庁舎が完成したことに伴い廃止・解体された。2022年3月頃までに観光駐車場として整備される予定である[1]。
(この他の詳細な歴史は、播磨国、山崎藩 の各項目も参照のこと。)
沿革
編集やまさきちょう 山崎町 | |
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廃止日 | 1955年7月20日 |
廃止理由 |
新設合併 山崎町、城下村、戸原村、河東村、蔦沢村、神野村、土万村→山崎町 |
現在の自治体 | 宍粟市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 兵庫県 |
郡 | 宍粟郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
8,660人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 宍粟郡城下村、河東村、蔦沢村、神野村、土万村、揖保郡新宮町、佐用郡三日月町 |
山崎町役場 | |
所在地 | 兵庫県宍粟郡山崎町 |
ウィキプロジェクト |
姉妹都市・提携都市
編集海外
編集地域
編集教育
編集小学校
編集- 宍粟市立(9校)
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中学校
編集高等学校
編集交通
編集鉄道
編集町内を鉄道路線は走っていない。最寄り駅は、JR西日本姫新線播磨新宮駅。
道路
編集温泉
編集名所・旧跡・観光スポット
編集- 長水山城
- 与位の洞門
- 道の駅山崎
- 生谷温泉 伊沢の里
- 最上山公園
- 播州山崎花菖蒲園
- 山崎アウトドアランド
- ぶどうの里 山崎農業公園
- 県指定文化財(天然記念物)「千年フジ」
- かおり風景100選にも選定されている。
祭事・催事
編集- 山崎納涼夏祭り
- 兵庫山崎さつきマラソン大会
- 「さつき祭り」(6月開催)
出身著名人
編集脚注
編集- ^ “山崎市民局跡地を観光駐車場に整備へ 宍粟市”. 神戸新聞. 2021年1月14日閲覧。