小島順彦
小島 順彦(こじま よりひこ、1941年10月15日 - )は、日本の実業家である。三菱商事15代目社長を経て、三菱商事会長となる。 元日本経済団体連合会副会長。
こじま よりひこ 小島 順彦 | |
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生誕 |
1941年10月15日(83歳) 日本 東京 |
出身校 | 東京大学工学部産業機械工学科 |
職業 | 実業家 |
人物
編集東京都出身。慶應義塾大学経済学部経済学科中退。東京大学工学部産業機械工学科卒業。
「海外で仕事がしたい」との希望から商社に就職し[1]、三菱商事社員としての人生を歩んだ。同社では製鉄所関連などの業務に長く携わるとともに[1]、複数の海外勤務も経験している。英語は得意ではないと自認するが、「英語力と頭のよさは無関係」「下手な英語でも、自分の意見をしっかり言う」として、日本の若者には海外での活躍を推奨するとともに[2]、自らも国際社会における積極的な活動を続けている[3]。
生い立ち
編集現在の東京都世田谷区に生まれる。東京学芸大学付属小学校・中学校、東京都立日比谷高等学校[4]を経て、1960年(昭和35年)、慶應義塾大学経済学部経済学科に入学した[5]。翌年、東京大学教養学部理科I類に転じ、工学部産業機械工学科を卒業した[5]。
三菱商事
編集大学卒業後の1965年(昭和40年)、三菱商事に入社、同社重機部に所属した[6]。1977年(昭和52年)、三菱商事を休職し三菱商事従業員組合職員となる。1978年(昭和53年)にサウジアラビアの現地会社Olayan Saudi Holdings Co., Ltdに出向となるが、2年後に帰国して重機部に復帰した[5]。1985年(昭和60年)からは約5年間のニューヨーク駐在(米国三菱商事)を経験。1992年(平成4年)、当時同社社長だった槙原稔[7]のもとでの同社社長室会事務局部長となった。その後は1993年三菱商事参与(1993年)、同社取締役社長室会事務局部長(1995年)、同・常務取締役職能担当役員(1997年)、同常務取締役新機能事業グループCEO(2000年)、副社長執行役員新機能事業グループCEO(2001年)と順次昇進、2004年(平成16年)、佐々木幹夫の後任として第15代目となる同社社長に就任した[6]。2010年(平成22年)6月より同社会長。同年からソニー株式会社取締役(2014年6月迄[8])及び三菱重工業取締役(2016年6月迄)、一般社団法人日本経済団体連合会副会長及び武田薬品工業取締役、商工組合中央金庫取締役を務めた。
その他
編集2010年(平成22年)1月、スイスで開催された世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)において共同議長を務めた[3]。同会議での共同議長は小島を含めた6人であり、ほかはネスレCEO、ポール・ブルケやデュポンCEO、エレン・クルマン、ICICI銀行CEOのチャンダ・コッチャルらであった[3]。一般財団法人産業遺産国民会議会長[9]。
脚注
編集- ^ a b 「七転八起 三菱商事社長 小島順彦 英語苦手 負けず挑戦 『読売新聞』 平成23年5月31日
- ^ 「日本人よ、もっと外を向け ダボス会議共同議長、三菱商事の小島順彦会長に聞く」 『日経ビジネスオンライン』 平成23年2月3日掲載
- ^ a b c ダボス会議共同議長に三菱商事の小島会長 プレゼンス向上期待 『産経新聞』 平成23年1月21日
- ^ 小島は日比谷高等学校如蘭会副会長、2008年(平成20年)から同会長を務めた(如蘭会 沿革 如蘭会HP)。
- ^ a b c 「小島順彦プロフィール」 企業家人物辞典
- ^ a b “アーカイブされたコピー”. 2009年2月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年5月25日閲覧。
- ^ 小島がニューヨーク駐在当時、米国三菱商事社長であった
- ^ [1]
- ^ 加藤六月の長女かつ加藤勝信の義姉で設立者の加藤康子が専務理事、代表理事は保田博が、名誉会長には今井敬が就いている。
- ^ 春の叙勲4024人 小島三菱商事前会長ら旭日大綬章 日本経済新聞 2016年4月29日