寺田栄吉
寺田 栄吉(てらだ えいきち、1902年(明治35年)3月29日[1] - 1993年(平成5年)8月1日[1])は、日本の政治家、実業家。衆議院議員、大阪府泉北郡高石町長。号・青胡[1]。
寺田栄吉 てらだ えいきち | |
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生年月日 | 1902年3月29日 |
出生地 | 日本 大阪府 |
没年月日 | 1993年8月1日(91歳没) |
出身校 | 明治大学商科卒業 |
前職 | 大日本紡績常務 |
現職 | 高石町教育委員長 |
所属政党 |
(日本進歩党→) 日本民主党 |
親族 | 兄・寺田甚吉(貴族院議員) |
選挙区 | 旧大阪2区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1946年 - 1947年3月31日 |
高石町長 |
経歴
編集1902年(明治35年)大阪府で寺田財閥創業者寺田甚与茂の四男として生まれる。1929年(昭和4年)明治大学商科卒業。
1940年(昭和15年)兄(寺田甚吉)の後を継ぎ、岸和田紡の社長となり、戦争時の要請により、岸和田紡績を大日本紡績(現ユニチカ)に合併した後はその専務まで務めた他、寺田財閥系企業などの経営に関与した(オーツタイヤ社長、 朝日火災海上保険常務など)。
また、大日本紡績常務のときに、経済同友会が発足し、幹事に就任した。
終戦後、1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙に大阪府2区から日本進歩党所属で出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた[2]。その後、高石町長、同町教育委員長などを務めた[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『朝日年鑑』第2巻、朝日新聞社、1972年。
- 『新・人物風土記』第5巻、読売新聞社、1956年。