寺島本町西
寺島本町西(てらしまほんちょうにし)は、徳島県徳島市の町名。内町地区に属している。寺島本町西一丁目と寺島本町西二丁目が置かれて、東から寺島本町西一丁目、寺島本町西二丁目の順に並んでいる。郵便番号は〒770-0831。
寺島本町西 | |
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国 | 日本 |
都道府県 | 徳島県 |
市町村 | 徳島市 |
地区 | 内町地区 |
人口 | |
• 合計 | 153人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
770-0831 |
地理
編集徳島市の中心街に位置し、JR徳島駅駅前西半分を占める。東半分は寺島本町東である。
中央を県道30号が南北にとおり、その西が寺島本町西二丁目、東が寺島本町西一丁目である。
寺島本町西一丁目は北東部に徳島駅があり、徳島駅前広場から駅西口までのポッポ街商店街は、通勤や通学者の通路ともなる商店街で、若者の町として人気がある。国鉄四国総局やホテル・旅館・病院・会社社屋などが立ち並び交通量が多い。徳島駅前再開発事業により、そごう徳島店が開業して以来、買物客が集中している。
一方、県道を越えた寺島本町西二丁目は、オフィスや教育機関が多い。
歴史
編集江戸時代には徳島城との間を寺島川が流れ、寺島本町東と共に家老・中老の屋敷が並ぶ武家地だった。ここを東西に貫く本丁筋(現在の「ありの道」)が本通りだった。本丁筋の西端は、寺島川を越える出来島橋で出来島に通じていた。
明治には寺島町の一部で、小字では本丁筋を境として北側が寺島本町北の西半分、南側が藍場町の北部だった。
1903年、内町小学校が、現在の寺島本町西・藍場町にかけて(ただし当時は全域が藍場町)に移転し、1978年までここにあった。
1899年、現在の寺島本町西・東にかけて徳島駅が開設し、徳島市の表玄関となった。
1902年から1937年まで、米ケンタッキー州の長老派宣教師チャールズ・アレキサンダー・ローガン(1874-1955)が、現在のポッポ街中ほどに住み活動した。そのためこの付近を南北に通る(現在のポッポ街と直交する)小路がローガン小路と呼ばれた。ローガン小路は本丁筋から花畑踏切(現在の県道30号と高徳線の踏切)に通じており、線路の向こう側の西ノ丸運動場(現 内町小学校)に向かう道として人通りが多かった。
交通
編集鉄道
編集道路
編集施設
編集- 徳島駅(一部) - 主に寺島本町西一丁目
- 徳島クレメントプラザ(一部) - 寺島本町西一丁目
- 三越徳島 - 寺島本町西一丁目
- ポッポ街 - 寺島本町西一丁目
- 阿波證券 - 寺島本町西一丁目
- 阿波交通 - 寺島本町西一丁目
- ホテルグランドパレス徳島 - 寺島本町西一丁目
- イーズアカデミー - 寺島本町西二丁目
- 四国大学交流プラザ - 寺島本町西二丁目
- 四国大学附属保育所 - 寺島本町西二丁目
- 四国電力藍場変電所 - 寺島本町西二丁目
かつて存在した施設
編集参考文献
編集- 『角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603)
外部リンク
編集※東出来島町とは道路上の一点で接する。