安西冬衛
日本の詩人 (1898 - 1965)
安西 冬衛(あんざい ふゆえ、1898年(明治31年)3月9日 - 1965年(昭和40年)8月24日)は、日本の詩人である。本名は勝(まさる)。奈良県奈良市出身。
大連で北川冬彦らと詩誌「亞」を創刊。その後、「詩と詩論」の創刊に参加、新しい散文詩運動を推進した。詩集に『軍艦茉莉』(1929年)、『亜細亜の鹹湖』(1933年)、『韃靼海峡と蝶』(1947年)などがある。
略歴
編集旧岸和田藩士の子として生まれる。麹町小学校[1]、堺中学校(現・大阪府立三国丘高等学校)卒業。1920年、父の赴任先であり当時日本の租借地であった大連に渡る。翌1921年、関節炎を患い右脚を切断、文学に興味を示し[2]、1924年11月、北川冬彦らと詩誌「亞」を大連で創刊。その後「軍艦茉莉」「亜細亜の鹹湖」「渇ける神」等の詩集を出すかたわら「詩と詩論」「文学」等に拠り活動、現代詩人会会員として終わる。「春」と題した一行詩が有名。
1965年8月24日、尿毒症のため大阪府高槻市の大阪医科大学附属病院で死去。67歳没。戒名は法勝院乗願冬衛居士[3]。墓所は高野山奥の院。
岸和田市立岸城中学校、堺市立浅香山中学校の校歌、大阪府立泉陽高等学校の生徒歌の作詞をした。
著書
編集脚注
編集参考文献
編集- 全集・現代文学の発見・第十三巻 言語空間の探検(學藝書林)
外部リンク
編集安岡正篤、