姉小路公景
江戸時代前期の公卿。参議、従二位権大納言。閑院流姉小路家を再興。姉小路家7代
姉小路 公景(あねがこうじ きんかげ)は、江戸時代前期の公卿。官位は参議、従二位権大納言。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長7年9月12日(1602年10月26日) |
死没 | 慶安4年12月11日(1652年1月21日) |
官位 | 従二位、権大納言 |
主君 | 後水尾天皇→明正天皇→後光明天皇 |
氏族 | 阿野家→姉小路家 |
父母 |
父:阿野実顕、母:吉田兼治の娘 養父:姉小路実広 |
兄弟 | 公福、公業、公景、山本勝忠 |
妻 | 忠有の娘、西洞院時慶の娘 |
子 | 実道、実種、実富、実勝、伊達宗興室、池田政直室、清岸院(酒井忠清室)、伊東祐由室 |
特記 事項 | 中絶した姉小路家を再興。 |
経歴
編集慶長18年(1613年)、室町時代から300年近くにわたって断絶していた閑院流姉小路家を再興した。家禄は200石。寛永9年(1632年)、参議となる。同10年(1633年)1月5日、それまでの正四位上から従三位に進む[1]。慶安4年12月(1652年1月)薨去。
実道・実種の2人の男子がおり、実道は姉小路家の名跡を継ぎ、実種は風早家の祖となっている。娘が数人おり、一人は日向飫肥藩主の伊東祐由の正室となっている。一人は伊達兵部宗勝の嫡男の宗興の正室となり、伊達騒動に連座して伊予吉田藩に預けられた。
系譜
編集脚注
編集- ^ 東京大学史料編纂所 1963, p. 1.