天城月江
天城 月江(あまぎ つきえ、1918年〈大正7年〉7月29日 - 2005年〈平成17年〉[1])は、元宝塚歌劇団(元雪組・星組組長)の人物である。本名は古家 三保子[2]。静岡県浜松市出身。宝塚歌劇団時代の公称身長は166cm。宝塚歌劇団時代の愛称はスロちゃん。宝塚歌劇団24期生。
来歴・人物
編集1934年、宝塚音楽歌劇学校(現在の宝塚音楽学校)に入学し、宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)に入団。当時は学校と劇団は一体で、入学イコール入団であった。宝塚入団時の成績は90人中7位[3]。初舞台は1935年である[3]。
1978年、宝塚歌劇団退団。
2005年に死去。
宝塚歌劇団時代の主な出演
編集- 『軍神』(月組)(1944年1月1日 - 1月24日、宝塚大劇場)
- 『ジャブ・ジャブ・コント』(月組)(1946年7月2日 - 7月30日、宝塚大劇場)
- 『ボレロ』(月組)(1946年9月1日 - 9月29日、宝塚大劇場)
- 『センチメンタル・ヂャアニー』(月組)(1946年12月1日 - 12月29日、宝塚大劇場)
- 『アリババ物語』(月組)(1947年3月1日 - 3月30日、宝塚大劇場)
- 『モン・パリ』(月組)(1947年10月1日 - 10月30日、宝塚大劇場)
- 『陽気な街』(月組)(1948年4月1日 - 4月29日、宝塚大劇場)
- 『ロマンス・パリ』(月組)(1949年3月11日 - 3月30日、宝塚大劇場)
- 『リオでの結婚』(月組)(1949年9月1日 - 9月29日、宝塚大劇場)
- 『ブルウ・イン・ザ・ナイト』『スヰングハイ・スヰングロウ』(雪組)(1950年11月1日 - 11月29日、宝塚大劇場)
- 『シェヘラザード』(雪組)(1951年11月1日 - 11月29日、宝塚大劇場)
- 『シェヘラザード』(星組)(1951年12月1日 - 12月20日、宝塚大劇場)
- 『ニューヨーク幻想曲』(星組)(1953年6月2日 - 6月29日、宝塚大劇場)
- 『コッペリア』(星組)(1953年10月1日 - 10月30日、宝塚大劇場)
- 『春の踊り(宝塚物語)』(雪組)(1954年5月1日 - 5月30日、宝塚大劇場)
- 『ミランの恋人たち』(星組)(1955年7月1日 - 7月31日、宝塚大劇場)
- 『ブーケ・ド・パリ』(星組)(1957年2月1日 - 2月26日、宝塚大劇場)
- 『芦刈』(星組)(1959年10月1日 - 10月30日、宝塚大劇場)
- 『華麗なる千拍子』(雪組)(1961年2月3日 - 10月26日、宝塚大劇場)
- 『黒い太陽-黒人霊歌-』(星組)(1961年10月1日 - 10月30日、宝塚大劇場)
- 『南の哀愁』(星組)(1964年2月1日 - 3月1日、宝塚大劇場)
- 『レビュー・オブ・レビューズ』(専科・星組・月組合同)(1964年6月2日 - 6月28日、宝塚大劇場)
- 『シャングリラ』(星組)(1964年10月31日 - 11月30日、宝塚大劇場)
- 『エスカイヤ・ガールス』(星組)(1965年3月25日 - 4月29日、宝塚大劇場)
- 『ラ・グラナダ』(星組)(1965年10月30日 - 11月30日、宝塚大劇場)
- 『千姫』(星組)(1968年10月1日 - 10月30日、宝塚大劇場)
- 『シルクロード』(星組)(1969年3月27日 - 4月24日、宝塚大劇場)
- 『タカラヅカEXPO'70-第一部 四季の踊り絵巻-』(月組)(1970年4月15日 - 5月6日、宝塚大劇場)
- 『我が愛は山の彼方に』(星組)(1971年8月27日 - 9月28日、宝塚大劇場)
- 『カンテ・グランデ』(雪組)(1973年6月30日 - 7月26日、宝塚大劇場)
- 『恋こそわが命』(月組)(1975年10月2日 - 11月11日、宝塚大劇場)
主な映画出演
編集主なテレビ出演
編集出典
編集- ^ 宝塚歌劇の殿堂 第一会場『殿堂ゾーン』の天城月江の展示パネルから。
- ^ 丸尾長顕『宝塚小夜曲』ポプラ社、1950年2月20日。
- ^ a b 監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、24頁。ISBN 978-4-484-14601-0。
- ^ 村上久美子 (2014年1月11日). “宝塚が八千草薫ら殿堂100人を発表”. 日刊スポーツ 2022年6月26日閲覧。
- ^ 『宝塚歌劇 華麗なる100年』朝日新聞出版、2014年3月30日、134頁。ISBN 978-4-02-331289-0。