大道健二
大道 健二(だいどう けんじ、1982年8月21日 - )は、東京都葛飾区出身で阿武松部屋に所属していた元大相撲力士。本名は中西 健二(なかにし けんじ)、愛称はケンちゃん。身長187cm、体重172kg、血液型A型。得意手は右四つ、上手投げ。最高位は東前頭8枚目(2012年9月場所)。現在は年寄・阿武松。阿武松部屋の師匠として後進の指導に当たっている。
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基礎情報 | ||||
四股名 | 大道 健二 | |||
本名 | 中西 健二 | |||
愛称 | ケンちゃん | |||
生年月日 | 1982年8月21日(42歳) | |||
出身 | 東京都葛飾区 | |||
身長 | 187cm | |||
体重 | 172kg | |||
BMI | 49.19 | |||
所属部屋 | 阿武松部屋 | |||
得意技 | 右四つ、上手投げ | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東前頭8枚目 | |||
生涯戦歴 | 347勝333敗23休(65場所) | |||
幕内戦歴 | 87勝108敗(13場所) | |||
優勝 | 序二段優勝1回、序ノ口優勝1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 2005年3月場所 | |||
入幕 | 2011年7月場所 | |||
引退 | 2016年1月場所 | |||
引退後 | 年寄・小野川→音羽山→阿武松 | |||
趣味 | DVD鑑賞 | |||
備考 | ||||
2018年1月13日現在 |
来歴
編集姉の勧めで小学校4年生の時から葛飾区の白鳥相撲教室で相撲を始め、目黒学院高校ではインターハイに出場、専修大学では東日本体重別無差別級優勝という実績を残した。なお、2年時に母が癌で死去するという苦難を経験している。[1]当初はプロ志望では無かったが希望の進路に進めなかったこともあり[2]、大学卒業後は阿武松部屋に入門して2005年3月場所に初土俵を踏んだ。
2005年5月場所に7戦全勝で序ノ口優勝、翌7月場所には再び7戦全勝で序二段優勝と華々しい成績を挙げて幕下までは順調に出世したが、その後は長く足踏みが続いた。西幕下5枚目まで番付を上げた2009年3月場所では場所前に顎を骨折して全休。この怪我により10日間を流動食のみで過ごし、一時は平常より体重が15kg減ってしまった。[1]翌5月場所から勝ち越しを続けて再び幕下上位まで番付を戻した。西幕下3枚目の位置で迎えた2010年1月場所では4勝3敗と勝ち越し、場所後の番付編成会議で翌3月場所における新十両への昇進が決定し、同時に四股名を本名の「中西」から「大道」と改めた。同じ阿武松部屋の益荒海と同時の新十両昇進となり、同部屋から同時に新十両への昇進を果たすのは2008年1月場所での春日野部屋(木村山と栃ノ心)以来のこととなった。専修大相撲部出身者からは武双山・片山に続く3人目の関取力士となった。
新十両の場所となった2010年3月場所では9勝6敗と勝ち越し、続く5月場所でも10勝5敗という好成績を収めたものの、2010年に発覚した大相撲野球賭博問題において野球賭博に関与したという理由により特別調査委員会から同年7月場所における謹慎休場を勧告されたため[3]、翌7月場所を全休し、続く9月場所において幕下へと陥落した。なお、大相撲野球賭博問題に関しては、本人は2011年3月3日に賭博開帳図利で書類送検され、同年3月17日には賭博罪で起訴されている[4]。
謹慎処分の結果として幕下へ陥落した2010年9月場所では西幕下筆頭の位置で4勝3敗と勝ち越し、翌11月場所において1場所での十両復帰を果たすと、その11月場所と続く2011年1月場所と2場所連続して9勝6敗の成績を挙げて勝ち越し、大相撲八百長問題による翌3月場所の中止を挟んで、同年5月技量審査場所においても東十両4枚目の位置で8勝7敗と勝ち越しを決めて、翌7月場所において新入幕を果たした。2012年7月場所では初日から7連勝と非常に好調で、給金相撲で3連敗するなど後半はやや失速したものの、11日目に勝ち越しを決めて最終的に10勝5敗という好成績を収めた。[5]2013年7月場所は初日から14連敗を喫する絶不振ぶりであったが、千秋楽の富士東戦でやっと白星を上げ、幕内皆勤全敗を免れた。[6] その次の9月場所でも6勝9敗と負け越したが翌11月場所は番付運に恵まれ東十両9枚目からわずか1枚半下降の西十両10枚目の地位で土俵に上がり、正念場となるこの場所は14日目に勝ち越しを決めて最終的に9勝6敗で終えた。2014年3月場所は東十両5枚目の番付で、7勝7敗の成績で千秋楽を迎え、この日の取組に十両全勝優勝の快挙がかかっていた豊真将に勝つ殊勲の星で勝ち越した。
2015年11月場所、西十両13枚目で6勝9敗と負け越し、2016年1月場所では西幕下2枚目に陥落したが、9日目までに1勝4敗と負け越した。1月21日、現役を引退し年寄小野川を襲名することになった[7]。国技館内で師匠の阿武松親方とともに引退会見に応じた大道は「小学校の時から相撲をやらせていただいた。すごい充実した相撲生活だった」と話し、さらに「阿武松部屋に入門できたことが一番良かった。自分の実力は大学生のときに分かっていて、十両に上がれないだろうと思って入ったけど、親方の厳しい指導で、上げてもらった。実力以上のものが出せた」と振り返った。引退後については「少しでも(阿武松)親方の力になれるよう、サポートできる親方になりたい。自分は地味な力士だったけど、お客さんがあいつの相撲は良かったと言ってくれるような弟子を育てたい」と語った。[8]2018年1月13日付で、年寄・21代「音羽山」を継承・襲名した[9]。
2019年9月、入門時からの師匠だった阿武松が高血圧など体調不良を理由に部屋経営を断念して退職の意向を表明[10]。これを受けて9月26日に師匠と年寄名跡の交換を行う形で阿武松部屋を継承することとなり、同日の協会理事会にて承認された[11]。最初は先代阿武松の秘蔵っ子と目されており、実績も最高位も勝る不知火を差し置いて部屋継承はできないと「顔じゃない」と断るつもりであったが、不知火に部屋を継承する気が無かったため、最終的に自身の継承が決まった。
エピソード
編集主な成績
編集通算成績
編集- 通算成績:347勝333敗23休 勝率.510
- 幕内成績:87勝108敗 勝率.446
- 現役在位:65場所
- 幕内在位:13場所
各段優勝
編集- 序二段優勝:1回(2005年7月場所)
- 序ノ口優勝:1回(2005年5月場所)
場所別成績
編集一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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2005年 (平成17年) |
x | (前相撲) | 西序ノ口14枚目 優勝 7–0 |
東序二段21枚目 優勝 7–0 |
東三段目27枚目 4–3 |
西三段目15枚目 2–5 |
2006年 (平成18年) |
東三段目39枚目 6–1 |
東幕下54枚目 6–1 |
西幕下24枚目 5–2 |
東幕下14枚目 4–3 |
西幕下10枚目 3–4 |
東幕下16枚目 2–5 |
2007年 (平成19年) |
東幕下33枚目 4–3 |
西幕下26枚目 5–2 |
西幕下15枚目 5–2 |
東幕下7枚目 3–4 |
東幕下10枚目 4–3 |
西幕下6枚目 3–4 |
2008年 (平成20年) |
東幕下11枚目 3–4 |
東幕下16枚目 3–4 |
西幕下21枚目 3–4 |
東幕下28枚目 5–2 |
西幕下18枚目 4–3 |
東幕下11枚目 4–3 |
2009年 (平成21年) |
西幕下7枚目 4–3 |
西幕下5枚目 休場 0–0–7 |
西幕下45枚目 5–2 |
西幕下27枚目 6–1 |
西幕下9枚目 5–2 |
東幕下5枚目 4–3 |
2010年 (平成22年) |
西幕下3枚目 4–3 |
西十両14枚目 9–6 |
東十両8枚目 10–5 |
西十両2枚目 出場停止 0–0–15 |
西幕下筆頭 4–3 |
西十両12枚目 9–6 |
2011年 (平成23年) |
西十両8枚目 9–6 |
八百長問題 により中止 |
東十両4枚目 8–7 |
東前頭12枚目 6–9 |
東前頭15枚目 8–7 |
東前頭12枚目 8–7 |
2012年 (平成24年) |
西前頭9枚目 6–9 |
東前頭12枚目 7–8 |
西前頭12枚目 7–8 |
東前頭13枚目 10–5 |
東前頭8枚目 7–8 |
西前頭8枚目 5–10 |
2013年 (平成25年) |
東前頭13枚目 6–9 |
東前頭15枚目 8–7 |
東前頭13枚目 8–7 |
東前頭11枚目 1–14 |
東十両9枚目 6–9 |
西十両10枚目 9–6 |
2014年 (平成26年) |
西十両6枚目 8–7 |
東十両5枚目 8–7 |
西十両筆頭 3–12 |
東十両10枚目 6–9 |
東十両12枚目 8–7 |
東十両8枚目 9–6 |
2015年 (平成27年) |
西十両3枚目 6–9 |
東十両5枚目 6–9 |
西十両8枚目 6–9 |
東十両11枚目 4–11 |
東幕下3枚目 5–2 |
西十両13枚目 6–9 |
2016年 (平成28年) |
西幕下2枚目 引退 1–4–1 |
x | x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
編集力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
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碧山 | 2 | 4 | 朝赤龍 | 6 | 1 | 旭日松 | 2 | 0 | 東龍 | 1 | 0 |
安美錦 | 1 | 1 | 阿覧 | 1 | 5 | 勢 | 3 | 0 | 大岩戸 | 1 | 0 |
隠岐の海 | 0 | 2 | 魁聖 | 1 | 5 | 臥牙丸 | 1 | 4 | 北太樹 | 3 | 4 |
皇風 | 0 | 1 | 木村山 | 3 | 0 | 旭秀鵬 | 1 | 0 | 旭天鵬 | 1 | 6 |
黒海 | 0 | 1 | 琴勇輝 | 0 | 1 | 磋牙司 | 3 | 1 | 佐田の富士 | 6 | 2 |
常幸龍 | 0 | 3 | 翔天狼 | 5 | 4 | 松鳳山 | 0 | 2 | 蒼国来 | 0 | 1 |
双大竜 | 1 | 0 | 大喜鵬 | 1 | 0 | 隆の山 | 4 | 0 | 高見盛 | 0 | 1 |
髙安 | 0 | 3 | 宝富士 | 2 | 2 | 豪風 | 3 | 2 | 玉飛鳥 | 2 | 1 |
玉鷲 | 4 | 3 | 千代鳳 | 0 | 1 | 千代の国 | 2 | 3 | 剣武 | 0 | 1 |
天鎧鵬 | 2 | 1 | 時天空 | 2 | 3 | 德勝龍 | 0 | 1 | 土佐豊 | 0 | 1 |
栃煌山 | 0 | 1 | 栃ノ心 | 0 | 5 | 栃乃洋 | 0 | 1 | 栃乃若 | 2 | 2 |
豊響 | 2 | 5 | 鳰の湖 | 0 | 1 | 富士東 | 4 | 5 | 寶智山 | 1 | 1 |
豊真将 | 1 | 0 | 誉富士 | 1 | 0 | 舛ノ山 | 0 | 3 | 雅山 | 1 | 2 |
妙義龍 | 1 | 1 | 芳東 | 1 | 1 | 嘉風 | 4 | 2 | 若の里 | 1(1) | 6 |
改名歴
編集力士
編集- 中西 健二(なかにし けんじ)2005年3月場所 - 2010年1月場所
- 大道 健二(だいどう - )2010年3月場所 - 2016年1月場所
年寄
編集- 小野川 健二(おのがわ けんじ)2016年1月21日 - 2018年1月13日
- 音羽山 健二(おとわやま - )2018年1月13日 -2019年9月25日
- 阿武松 健二(おうのまつ - )2019年9月26日 -
脚注
編集- ^ a b 賭博謹慎から2年大道6連勝/名古屋場所 nikkansports.com 2012年7月14日9時21分 紙面から
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2016年3月号(春場所展望号) 42頁
- ^ 朝日新聞 2010年6月29日
- ^ 野球賭博:現役力士など9人 単純賭博罪で略式起訴 毎日新聞(毎日jp) 2011年3月17日
- ^ 『相撲』2012年8月号63頁の記事には「今までの勝ち越しと全然違う。いつもは叩きばかりだったけど、今場所は叩きもないので本当に勝ち越したんだなと思う。」と自身が会心の相撲ぶりを喜んでいた様子が報告されていた。
- ^ 大道 泥沼の14連敗…22年ぶり全敗に“王手”スポニチアネックス 7月21日(日)7時22分配信
- ^ “元幕内の大道が引退「小野川」襲名へ”. デイリースポーツ. (2016年1月21日) 2016年1月21日閲覧。
- ^ 元幕内大道が引退「すごい充実した相撲生活だった」 日刊スポーツ 2016年1月21日16時17分
- ^ “年寄音羽山が退職、年寄小野川が音羽山を継承 引退の元幕内北太樹が小野川を継承”. デイリースポーツonline. (2018年1月13日) 2018年1月13日閲覧。
- ^ “阿武松理事が退職…慰留受けるも意思固く 高血圧など原因で/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online(2019年9月23日). 2019年9月23日閲覧。
- ^ “元阿武松親方は退職 音羽山が阿武松襲名し部屋継承” (2019年9月26日). 2018年9月26日閲覧。
- ^ 新十両のモンゴル出身・阿武剋は日本語ペラペラ「目標は2桁」好きな歌は河島英五の『時代おくれ』 中日スポーツ 2024年3月27日 17時23分 (2024年4月30日閲覧)
- ^ 本名「大道」御嶽海寂しい 日刊スポーツ 2016年1月22日付紙面 4面
- ^ 御嶽海「大道対決」制し7連勝 FBあおられ意識 日刊スポーツ 2015年7月18日付
- ^ 元寺尾の錣山親方の訃報から一夜明け「本当に残念」「よく気に懸けてもらった」関係者が続々弔問 日刊スポーツ 2023年12月18日12時50分 (2023年12月18日閲覧)