堀 親蔵(ほり ちかただ、正徳5年12月18日1716年1月12日) - 延享3年2月13日1746年4月3日))は、信濃飯田藩の第6代藩主。信濃飯田藩堀家7代。

第4代藩主堀親賢の次男。母は井上甚五左衛門の娘(自涼院)。正室は加藤嘉矩の娘。子は堀親長(長男)、堀親豊(次男)、座光寺為明(三男)、有馬氏恒(四男)、堀親褒(五男)、安西親表(七男)、遠藤常郷(九男)、娘(戸田氏之正室のち石川総恒継々室)、娘(近藤政方正室のち藤枝教忠室)、娘(小笠原長孝室)、娘(竹内惟久室)。幼名・興之丞。官位は従五位下、右衛門佐、美作守、大和守。

享保13年(1728年)、兄で5代藩主の親庸が跡継ぎを儲けぬまま死去したため、養子となって家督を相続した。延享3年(1746年)死去した。跡を長男の親長が継いだ。

系譜

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父母

  • 堀親賢(実父)
  • 自涼院 - 井上甚五左衛門の娘、側室(実母)
  • 堀親庸(養父) - 親賢の長男

正室

側室

  • 慈眼院 - 勅使河原直信の妹

子女

  • 堀親長(長男) 生母は慈眼院
  • 堀親豊(次男)
  • 座光寺為明(三男)
  • 有馬氏恒(四男)
  • 堀親褒(五男)
  • 安西親表(七男)
  • 遠藤常郷(九男)
  • 戸田氏之正室、のち石川総恒継々室
  • 近藤政方正室、のち藤枝教忠室
  • 小笠原長孝室
  • 竹内惟久室