喜連川義親
日本の安土桃山時代~江戸時代前期の武士。下野喜連川藩初代藩主喜連川頼氏長男
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喜連川 義親(きつれがわ よしちか)は、江戸時代前期の下野国喜連川藩の世嗣。官位は河内守。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長4年(1599年) |
死没 | 寛永4年7月3日(1627年8月13日) |
改名 | 梅千代王丸(幼名)、義親 |
戒名 | 天燾院義山英公 |
墓所 | 茨城県古河市の徳源院 |
官位 | 河内守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 下野喜連川藩世嗣 |
氏族 | 喜連川家 |
父母 | 父:喜連川頼氏、母:足利氏姫 |
兄弟 | 義親、島田守政正室 |
妻 |
正室:榊原康政の養女・松月院 継室:養儼院 |
子 | 尊信 |
略歴
編集下野国喜連川藩初代藩主・喜連川頼氏の長男として誕生。母は古河公方足利義氏の娘・氏姫。幼名は梅千代王丸。
正室は松月院(榊原康政の養女・康政室花房氏の姪)。継室は養儼院(黒田直陣の娘。元・徳川家康側室。)。
母である氏姫が喜連川に入ることを拒み、古河城郊外の鴻巣御所に居住し続けていたため、義親も母と共に暮らした。母の死後も喜連川に入ることなく、父に先立ち29歳で病死した。法号は天燾院義山英公。墓所は徳源院。代わって長男・尊信が嫡子となった。