原田久仁信
日本の漫画家
原田 久仁信(はらだ くにちか、1951年11月3日 - )は、日本の漫画家。福岡県出身。
原田 久仁信 | |
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生誕 |
1951年11月3日(73歳) 日本・福岡県 |
国籍 | 日本 |
活動期間 | 1977年 - |
ジャンル | 格闘漫画・伝記漫画 |
代表作 |
『プロレススーパースター列伝』 『男の星座』 |
受賞 | 第1回:小学館新人コミック大賞 |
概要
編集高校卒業後に上京、就職するが、1年で退職して漫画家を目指す。『ビッグウェーブ』が第1回小学館新人コミック大賞佳作を受賞し、『増刊少年サンデー』1978年お正月増刊号にてデビューする。1980年、梶原一騎に指名されるかたちで『週刊少年サンデー』に『プロレススーパースター列伝』を連載。当時のプロレスブームに乗りヒットとなる。
『スーパースター列伝』は1983年、梶原の暴力事件に端を発する一連のスキャンダルで連載打ち切りとなる。1985年、梶原の復帰作『男の星座』(漫画ゴラク)の作画を自ら申し出る。漫画原作者として窮地に追い込まれていた梶原は原田の男気に感動し、深い信任を得る。しかし、梶原が連載途中に急逝し、この作品も未完に終わった。
その後は、青年誌を中心に執筆。実録マンガを中心に執筆する。だが、かつてのようなヒットに恵まれず、2000年の中頃から、バス会社で清掃の仕事や冷凍倉庫でのアルバイト、ラーメン屋の仕事などを兼業しながら生計を立てる。
2007年、宝島社より『別冊宝島』プロレス関連ムック本が定期刊行される。連載漫画に原田が起用され、『プロレス地獄変』シリーズを発表。プロレスファンの話題を呼び、読み切り漫画やプロレスイラストの依頼も再び来るようになる。
2013年に増田俊也からのラブコールを受けて、増田の大宅賞受賞作『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の漫画化作品『KIMURA』の連載を『週刊大衆』で開始、漫画家として本格復帰する。原田にとってほぼ30年ぶりとなる週刊誌連載であり、62歳という高齢でありながら「命がけで描いていく」と決意を語っている[1][2]。
作品リスト
編集- プロレススーパースター列伝 (原作:梶原一騎)
- 一騎人生劇場 男の星座 (原作:梶原一騎)
- 劇画内閣総理大臣伝 (原作:よつや文)
- 日本宰相列伝(原作:よつや文)
- 格闘技セカイオー (原作:真樹日佐夫)
- サラバ兄貴(原作:真樹日佐夫)
- プロレスヒーロー列伝・力道山 修業編 (原作:原康史)
- 熱いですよ!(原作:きむらはじめ)
- スポーツ名勝負列伝(原作:本間正夫)
- スポーツ名勝負物語(原作:本間正夫)
- プロ野球スーパースター列伝
- ヤクザ大辞典(原作:山平重樹)
- ザ・YAKUZA
- 靖逆の犬
- マンガ仕手相場(こずかた治)
- 男漢ジョー
- 不死鳥(フェニックス)ドン
- プロレス大勝負
- マグナムチキン
- シューティングタイガー
- シューティングタイガー199X
- 毛利元就西国の覇者
- 徳川慶喜最後の将軍
- 格闘技の描き方
- オカルトの描き方
- バトルの描き方
- 劇画 プロレス地獄変
- 劇画 プロレス夢十夜
- KIMURA(原作:増田俊也) - 『週刊大衆』(双葉社)連載
- 増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の漫画化作品。
- 全11巻(第0巻 - 第10巻)
- 力道山プロレス地獄変 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか〜最終章〜(原作:増田俊也)
- 『KIMURA』の続編。上下巻。
- 増補DX完全版 劇画 プロレス地獄変(2017年、宝島社)