佐賀県立三養基高等学校
日本の佐賀県三養基郡みやき町にある公立の高等学校
佐賀県立三養基高等学校(さがけんりつ みやきこうとうがっこう)は、佐賀県三養基郡みやき町原古賀に所在する公立の高等学校。
佐賀県立三養基高等学校 | |
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北緯33度20分33.3秒 東経130度26分36.1秒 / 北緯33.342583度 東経130.443361度座標: 北緯33度20分33.3秒 東経130度26分36.1秒 / 北緯33.342583度 東経130.443361度 | |
過去の名称 |
佐賀県立佐賀中学校三養基分校 佐賀県立三養基中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 佐賀県 |
学区 | 東部学区 |
校訓 | 質実剛健 |
設立年月日 | 1920年(大正9年)1月30日 |
創立記念日 | 5月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D141290000107 |
高校コード | 41113C |
所在地 | 〒849-0101 |
佐賀県三養基郡みやき町原古賀300 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集- 歴史
- 1919年(大正8年)に佐賀県立佐賀中学校の分校として設置され、翌1920年(大正9年)に独立。1948年(昭和23年)の学制改革により、新制高等学校となった。全日制農業科、家政科、普通科国際文化コースや定時制普通科、三川分校が存在した時期もあるが、現在では全日制課程普通科のみである。独立した1920年(大正9年)を創立年としており、2015年(平成27年)には創立95周年を迎えた。
- 校訓
- 「質実剛健」、「文武心三道一如」、「念ずれば花開く」
- 校章
- 3本の矢を組み合わせたものを背景にして、中央に「高」の文字を置いている。
- 校歌
- 歌詞は3番まであり、校名は歌詞中に登場しない。校歌としては珍しく、歌詞の中に掛け合いがある。また、校歌と別に応援歌がある。
- 入学試験
- 前期試験と後期試験を取り入れている。
沿革
編集- 1919年(大正8年)10月27日 - 佐賀県三養基郡中原村に「佐賀県立佐賀中学校 三養基分校」として設置される。
- 1920年(大正9年)
- 1923年(大正12年)4月 - 校舎を改築。
- 1939年(昭和14年)10月 - 普通教室2、理科実験室、薬品室の増築が完成。
- 1940年(昭和15年)6月 - 西通用門を新設。
- 1943年(昭和18年)
- 4月1日 - 中等学校令の施行により、この年の入学生から修業年限が4年となる。
- 7月 - 講堂、購買部、宿直室、小使室を焼失。
- 1944年(昭和19年)4月1日 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、中等学校令施行前に入学した生徒にも修業年限4年(実質の短縮)が適用されるようになる。
- 1941年(昭和16年)に入学した4年生が4年の終了する1945年(昭和20年)3月に卒業することが決定する。
- 1945年(昭和20年)3月 - 1940年(昭和15年)入学の5年生と1941年(昭和16年)入学の4年生の合同卒業式を挙行。
- 1946年(昭和21年)4月 - 終戦により、修業年限が5年に戻る(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 旧制中学校の募集を停止。
- 新制中学校を併設(以下・併設中学校)し、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、改めて生徒募集が行われることはなく、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 旧制中学校の3・4年修了者はそのまま旧制中学校4・5年生として在籍した(ただし4年修了時点で卒業することができた)。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、旧制中学校が廃止され、新制高等学校「佐賀県立三養基高等学校」が発足。この時点では男子校であった。
- 通常制(全日制課程)の普通課程(普通科)と農業課程(農業科)が設置される。
- 旧制中学卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校は旧制中学校から継承され、1941年(昭和21年)4月に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 1949年(昭和24年)
- 1953年(昭和28年)4月1日 - 通常制家庭課程(後に家政科)を設置。定時制三川分校を設置。
- 1957年(昭和32年)4月1日 - 本校定時制の募集を停止し、通常制普通科の定員を増員。
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 定時制三川分校の募集を停止。
- 1960年(昭和35年)
- 1962年(昭和37年)3月31日 - 定時制三川分校を廃止。
- 1963年(昭和38年)3月 - 校舎新築第1期工事(普通教室9)が完成。
- 1964年(昭和39年)2月 - 校舎新築第2期工事(普通教室9、被服室)が完成。
- 1965年(昭和40年)3月 - 校舎新築第3期工事(普通教室、自転車置き場)が完成。
- 1967年(昭和42年)8月 - 体育館が完成。
- 1969年(昭和44年)4月 - 管理棟が完成。
- 1974年(昭和49年)3月 - 柔剣道場が完成。
- 1976年(昭和51年)3月 - 特別教室棟が完成。
- 1978年(昭和53年)9月 - グラウンド整備事業が完成。
- 1980年(昭和55年)9月 - 創立60周年を記念して「養基会館」(同窓会館)が完成。
- 1981年(昭和56年)8月 - 文化部の部室が完成。
- 1983年(昭和58年)4月1日 - 普通科が中学区制に移行。
- 1991年(平成3年)
- 3月 - 特別教室棟(理科室・図書室)等が完成。
- 4月 - 家政科の募集を停止。
- 1993年(平成5年)3月31日 - 家政科を廃止。
- 1995年(平成7年)
- 2月 - 正門を新設。体育館を改修。
- 4月 - 「質実剛健」校訓碑を設置。
- 1996年(平成8年)4月1日 - 国際文化コースを設置。
- 1998年(平成10年)12月 - 管理棟を改修。
- 2000年(平成12年)3月 - 新部室棟が完成。
- 2008年(平成20年)4月 - 国際文化コースの募集を停止。
- 2010年(平成22年)3月31日 - 国際文化コースを廃止。
- 2014年(平成26年)2月 - 普通教室棟が完成。
著名な出身者
編集- 政治
- 軍人
- 板谷茂(1909年 - 1944年) - 海軍中佐。
- 板谷隆一(1911年 - 1991年) - 海軍中佐、第7代海上幕僚長、第5代統合幕僚会議議長。
- 松永市郎(1919年 - 2005年) - 海軍大尉。
- 広尾彰(1920年 - 1941年) - 九軍神の一人。
- スポーツ
- 中村日出夫(1968年 - ) - 元プロ野球選手。西武ライオンズ - 横浜ベイスターズ。
- 濵口遥大(1995年 - ) - プロ野球選手。横浜DeNAベイスターズ。
- 芸能
交通
編集- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停留所
- 最寄りの幹線道路
- 国道34号・佐賀県道280号中津隈原古賀線「三養基高校入口」交差点
周辺
編集- みやき町役場中原庁舎
- 肥前中原郵便局
- 佐賀銀行中原支店
- 佐賀県立中原特別支援学校