伊達敦重
日本の江戸時代中期~後期の武士。出羽久保田藩家老伊達峯宗次男で、秋田伊達氏8代当主。相手番を勤めた
伊達 敦重(だて あつしげ、生没年不詳)は、久保田藩重臣。国分氏の後身の秋田伊達氏8代目当主。
久保田藩家老の伊達峯宗(備前)の次男。養父は実兄の伊達敦宗(外記)。通称は兄と同じく外記を称す[1]。男子に伊達和宗(まさむね、彦九郎)[2]、国分専之助、国分又五郎[3]の3人がいる。
なお、秋田武鑑では確認できないが、敦重の次三男や敦重の叔父(祖父伊達処宗の次男)は国分氏を称しているので、これと同様に敦重も家督相続前に国分姓を称した可能性がある[4]。
代々の秋田伊達氏当主の慣例により、兄・敦宗と同様、藩主佐竹義敦より偏諱を拝領する。天明元年(1781年)に相手番となる。