今田束
今田 束(いまだ つかぬ、嘉永3年(1850年)9月 - 明治22年(1889年)11月22日)は、明治期の解剖学者、医師。日本の解剖学の草分け。従七位。「解剖学のパイオニア」とも称される。
経歴
編集周防国岩国藩士・佐藤逸の三男として山口県岩国市で生まれ、今田家の養嗣子となる。維新時に京都守護兵として鳥羽・伏見の戦いに従軍。のち箕作秋坪に学び、次いで慶應義塾に入学し(『慶應義塾入社帳』第一巻345頁)、洋学を学ぶ。医学を志し、明治5年(1872年)、第一大学区医学校に入学し兵籍を脱する。ドイツ人医師、ウィルヘルム・デーニッツ(Wilhelm Dönitz)につき解剖学を修める。明治12年(1879年)に東京大学医学部助教授、のち教授となり、解剖学に関する標本類を作製し実験に供した。また、解剖学人工体を作り欧米の博覧会に出品するなどしている。40歳で早世した。
著書
編集- 『実用解剖学』
- 『動脈一覧図及解』
- 『神経一覧図及解』
- 『心臓及内臓一覧図』
参考文献
編集- 『慶應義塾入社帳 第1巻』福澤諭吉研究センター(編)、慶應義塾、1986年
- 吉岡達生「今田束先生の生涯と業績 ー 明治前期の解剖学者」(1〜6)、『山口県医師会報』、1780号(2008年)、1781号(2009年)、1782号(2009年)、1787号(2009年)、1788号(2009年)
- 谷中・桜木・上野公園裏路地ツアー今田束 - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)
- 佐古利南「近代日本の礎を築いた七人の男たち: 岩国セブン・ファーザーズ物語」