京都市電伏見線
伏見線(ふしみせん)は、かつて京都市内に敷設されていた京都市電の軌道路線である。
伏見線 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 京都市 |
路線網 | 京都市電 |
起点 | 塩小路高倉電停 |
終点 | 中書島電停 |
停留所数 | 17箇所 |
開業 | 1895年2月1日 |
廃止 | 1970年4月1日 |
運営者 | 京都市交通局 |
路線諸元 | |
路線距離 | 7.120 km |
軌間 | 1,435 mm |
線路数 | 複線 |
電化方式 | 直流600 V 架空電車線方式 |
伏見線 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1895年(明治28年)に京都電気鉄道によって開業された日本初の路面電車。営業用の電車としても日本で最初である。琵琶湖疏水の開削に伴って建設された水力発電所の電力を利用した。平安遷都1100年祭記念事業の一環として建設され、1918年(大正7年)に京都市に買収された。
京都市下京区塩小路高倉から竹田街道を経由し、伏見区の京阪電気鉄道中書島駅までを結んでいた。併用軌道のほか棒鼻 - 肥後町間に専用軌道を有していた。京都市買収後、軌間は狭軌1067mmから標準軌1435mmに拡張された。
京都市街と伏見を結ぶ重要な路線で、毎年正月三が日には京都駅から日本有数の初詣客で賑わいをみせる伏見稲荷大社への参拝客を輸送していたが、1970年(昭和45年)に75年の歴史に幕を閉じた。
沿革
編集廃止の要因
編集伏見線はその併用軌道部が道路の東側に寄っていたことが廃止を早めた要素として挙げられている。すなわち、勧進橋以北では河川の暗渠化により中央を走るようになったがそれ以南は相変わらず東側を走っており、この部分で道路を遮るかたちとなったこと[4]、さらにこの道路、竹田街道が国道24号でもあり自動車の交通量も多かったこと[4]などを理由とするものである。
電停一覧
編集停留所/交叉する通りを示す。接続、距離、急行停車駅は路線図参照
運行系統
編集1963年(昭和38年)6月20日から1969年(昭和44年)9月30日のものを示す。
路線名 | 駅名 | 系統 | ||
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9 | 18 | 19 | ||
河 原 町 線 |
河原町二条 | ● | ||
河原町三条 | ● | |||
四条河原町新京極 | ● | |||
河原町五条 | ● | |||
河原町正面 | ● | |||
七条河原町 | ● | |||
京都駅前 | ● | | | ● | |
伏 見 線 ・ 稲 荷 線 |
塩小路高倉 | ● | ● | ● |
京都駅八条口 | ● | ● | ● | |
大石橋 | ● | ● | ● | |
札ノ辻 | ● | ● | ● | |
十条通 | ● | ● | ● | |
勧進橋 | ● | ● | ● | |
稲荷 | | | | | ● | |
深草下川原町 | ● | ● | ||
竹田久保町 | ● | ● | ||
竹田出橋 | ● | ● | ||
七瀬川町 | ● | ● | ||
城南宮道 | ● | ● | ||
棒鼻 | ● | ● | ||
丹波橋 | ● | ● | ||
肥後町 | ● | ● | ||
大手筋 | ● | ● | ||
京橋 | ● | ● | ||
中書島 | ● | ● |
特記事項
編集- 開業当時、棒鼻付近で当時の奈良鉄道(のち、関西鉄道から国鉄奈良線)と平面交差していたが、しばしば衝突事故を起こしたという。1921年に奈良線が東海道本線の旧路盤を利用した経路に変更されたことにより平面交差は解消。その後、1928年に奈良線の旧線敷を利用して開業した奈良電気鉄道(現・近鉄京都線)とは立体交差とされた。
- 棒鼻-肥後町の専用軌道区間の跡地は北行き一方通行の道路に転用されている。
- 開業時の終点であった京都市伏見区下油掛には伏見線廃止直前の1970年2月に鉄道友の会京都支部が建立した「我国に於ける電気鉄道事業発祥の地」の記念碑が、また京都駅近くの塩小路東洞院南西角には運行開始80周年の1975年2月に鉄道友の会京都支部と関西電力、国鉄、京都市交通局、関西大手私鉄5社および京福電気鉄道が共同で建立した「電気鉄道事業発祥の地」の記念碑がある。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 松岡慎吾「(二)軌隔拡張」『市電の使命』「市電の使命」発行所、1930年、4頁。doi:10.11501/1189370 。
- ^ 京都市交通局総務部庶務課 編『軌道事業略史』京都市交通局総務部、1952年、28,13頁。doi:10.11501/2530773 。。
- ^ 京都市電気局 編「第二項 工事並工事費」『京都市営電気事業沿革誌』京都市電気局、1933年、969-970頁。doi:10.11501/1258700 。
- ^ a b 『京都市電が走った街 今昔』pp.140, 143
参考文献
編集- 鉄道図書刊行会 編『鉄道ピクトリアル1978年12月臨時増刊 京都市電訣別特集号』鉄道図書刊行会、東京、1978年。
- 沖中忠順、福田静二(編)、1999、『京都市電が走った街 今昔』、JTB