久根鉱山
静岡県浜松市の鉱山
久根鉱山(くねこうざん)は、静岡県浜松市天竜区(旧磐田郡佐久間町)にあった鉱山。経営は古河鉱業。産出物は銅、黄鉄鉱など。
久根鉱山 | |
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所在地 | |
所在地 | 静岡県浜松市天竜区 |
国 | 日本 |
座標 | 北緯35度05分14.8秒 東経137度50分05.8秒 / 北緯35.087444度 東経137.834944度座標: 北緯35度05分14.8秒 東経137度50分05.8秒 / 北緯35.087444度 東経137.834944度 |
生産 | |
産出物 | 黄銅鉱、黄鉄鉱、四面銅鉱、磁硫鉄鉱など |
歴史 | |
開山 | 1731年 |
閉山 | 1970年 |
所有者 | |
企業 | 石田庄七・原秀次郎 ⇒原秀次郎 ⇒古河鉱業(現・古河機械金属) |
取得時期 | 1899年(古河鉱業) |
プロジェクト:地球科学/Portal:地球科学 | |
概要
編集享保16年(1731年)に開坑されたが、しばらく日の目を見なかった。明治に入り、名古屋の商人によって再興が試みられるも失敗。そして、管理する人間が転々とする中、明治32年(1899年)に古河市兵衛の一声により、古河鉱業が買収するにいたり、古河の下で隆盛を極めることとなった。特に、優秀な含銅硫化鉄鉱石は有名で、硫酸原料として活用され、明治後期から大正期にかけて硫化鉄鉱山として日本一の地位を占めた。
- 1731年 - 開坑
- 1892年 - 大阪商人石田庄七と紀伊商人原秀次郎の共同稼業となる
- 1897年 - 原秀次郎の専有となる
- 1899年 - 古河鉱業が買収
- 当初は製錬が行なわれていたが、鉱害問題や立地条件から中止。精鉱を足尾製錬所に供給した。
- 鉱石や各種物資の運搬は当初、天竜川の水運を利用していた。のちにトラック及び鉄道輸送に切り替わっている。
- 1905年 - 通洞坑が完成
- 1970年 - 閉山
名合支山
編集名合(なこお)支山は、久根鉱山から南に位置する佐久間町上平山の名古尾地区(北緯35度03分25.7秒 東経137度51分08.6秒 / 北緯35.057139度 東経137.852389度)に所在した。
久根鉱山の支山として開発され、久根本山の生産量を上回った時期もあった。
- 1913年 - 開坑。
- 1920年 - 休坑。
- 1937年 - 操業再開。
- 1970年 - 閉山。
天竜川岸にある跡地にはコンクリート製の護岸が残っている。
現状
編集関連項目
編集参考文献
編集- 財団法人日本経営史研究所編『創業100年史』古河鉱業株式会社、1976年3月
脚注
編集- ^ 80m先、対岸に石が届いた 怪物・江川を育んだ天竜川 朝日新聞デジタル、2017年7月20日。2018年3月15日閲覧。