下関大丸
株式会社下関大丸(しものせきだいまる、英称: The Shimonoseki Daimaru,Inc.)は、山口県下関市竹崎町にある日本の百貨店[4]『大丸下関店』の2020年(令和2年)2月29日までの店舗名、ならびに運営会社であった大丸松坂屋百貨店の連結子会社である。
大丸下関店 DAIMARU SHIMONOSEKI | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒750-0025 山口県下関市竹崎町四丁目4番10号[1] |
座標 | 北緯33度56分56.4秒 東経130度55分23.4秒 / 北緯33.949000度 東経130.923167度座標: 北緯33度56分56.4秒 東経130度55分23.4秒 / 北緯33.949000度 東経130.923167度 |
開業日 |
1977年(昭和52年)10月21日 (旧店舗:1950年(昭和25年)11月1日)[2] |
施設所有者 |
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施設管理者 |
株式会社下関大丸 →株式会社大丸松坂屋百貨店 |
延床面積 | 41,205 m² |
商業施設面積 | 23,455 m²[3] |
最寄駅 | JR下関駅 |
最寄IC | 中国自動車道下関IC |
外部リンク | 大丸下関店 |
2020年(令和2年)3月1日に株式会社大丸松坂屋百貨店が株式会社下関大丸を吸収合併し法人格は消滅、店舗は大丸松坂屋百貨店の直営店舗に改められた[5]。
本項目では、法人としての「株式会社下関大丸」ならびに現在の「大丸下関店」について記す。
概要
編集JR下関駅東口にある複合商業施設「シーモール下関」の核店舗の一つである[5]。売場は地下1階から地上7階まであり、店舗面積は約2万4000平方メートル[5]。 前身の下関大丸時代は下関市内の唐戸地区にある商業施設「カモンワーフ」内にギフトショップを出店していたほか、山口市に宇部・山口出張所、萩市に萩・長門出張所を置いていたが、大丸松坂屋百貨店への吸収合併にともない2019年12月27日をもって閉鎖・閉店した[6]。なお、両出張所はもともと宇部、山口、萩、長門の独立した4店舗であった[4]。
また、下関大丸時代は独自のポイントカード(ピコットクラブカード)およびクレジットカード(下関大丸ピーコックポイントカード)(ジャックスとの提携発行)を発行し、DAIMARU CARD・マツザカヤカード・大丸松坂屋カード・さくらパンダカードへのポイント付与率も他店扱いと同等となってたが、大丸松坂屋百貨店への吸収合併による直営店化に伴い2020年2月29日をもってピコットクラブカードおよび下関大丸ピーコックポイントカードへのポイント進呈を終了した。 そして、大丸松坂屋百貨店直営店としての営業開始日より大丸松坂屋百貨店と同様のもの(ポイントカード(大丸松坂屋ポイントカードPC)およびクレジットカード(大丸松坂屋カード・さくらパンダカード))を導入することとなった。 また、2014年10月の楽天ポイントカードサービス開始時より楽天ポイント加盟店でもある。
1983年に大丸系列で一斉にシンボルマークが変更された後も、屋上に旧来の「○に大」の大丸の社章を掲げている(写真参照)。
フロア・主要店舗
編集2024年8月時点のフロアガイドによる[7]。主要店舗のみ羅列。
BF / 食品・ごちそうパラダイス
1F / 婦人雑貨・化粧品
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2F / ファミリーファッション(レディス・メンズキャラクター・キッズ)・アイウェアショップ
3F / 婦人服・婦人肌着・紳士服・紳士肌着・宝飾
4F / プラグスマーケット(リビング雑貨・トラベル雑貨・時計・メガネ・ウィッグ)
5F / ザ・キッズ・中高校生のための学習スペース エキスタ
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6F / KANMON U.W.・地域貢献リボンホール・ベビー服・子供服
7F / レストラン・総合サービス
RF / 憩いの広場
沿革
編集下関大丸時代
編集種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒750-8303[1][4] 山口県下関市竹崎町四丁目4番10号[1][4] 北緯33度56分56.4秒 東経130度55分23.4秒 / 北緯33.949000度 東経130.923167度 |
設立 | 1950年(昭和25年)9月15日[4] |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 9250001005691 |
事業内容 | 百貨店の運営 |
代表者 | 代表取締役社長 西阪義晴[10] |
資本金 | 4億8,000万円[11] |
売上高 | 126億円(2019年2月期)[12] |
決算期 | 毎年2月末日[4][13] |
主要株主 | 株式会社大丸松坂屋百貨店 100.0%[11] |
特記事項:2020年(令和2年)3月1日で大丸松坂屋百貨店に吸収合併され消滅。 |
1950年(昭和25年)9月25日に大洋漁業(マルハニチロの前身)や林兼産業などのマルハグループが創業の地である下関市に大丸(現在の大丸松坂屋百貨店)と提携して株式会社下関大丸を設立し、同年11月1日に林兼産業の本社の近隣にあった大和町貿易ビルで開店したのが始まりである[2]。
1959年(昭和34年)12月1日には下関駅西口に店舗を移転・拡張を図る[2]などして下関を代表する大型店に成長し、1970年(昭和45年)10月のニチイ(現在のイオンリテール)など[14]のライバルとなる大型店の進出に対抗して競争を繰り広げた。なおこの当時は社章の円の下部にアルファベット大文字の「S」をつけたものを新聞広告に使用していた。
1977年(昭和52年)10月21日には、下関商工会議所や地元の商店街などと共同で下関駅東口にショッピングセンター「シーモール下関」を開業し、そのキーテナントとして店舗を再度移転して拡張を図った[2]。
このシーモールへの移転の際に大丸からの出資を受け入れてマルハグループと大丸の合弁事業化した[15]が、マルハ創業家の中部一次郎が引き続き社長を務め[16]、1998年(平成10年)10月に横浜ベイスターズが優勝した際にはマルハグループの一員として優勝セールを行う[17]などマルハグループとしての運営も引き続き行われていた。
2001年(平成13年)8月31日付で林兼産業が保有する全株式を譲渡したことによってマルハグループが保有する株式が0になって大丸が100%出資する完全子会社となり[15]、それに伴って9月17日にマルハグループを代表していた中部一次郎は31年7か月に及ぶ社長在任に終止符を打って退任し[16]、大丸から派遣された社長が就任する[16]ことで名実共に完全に大丸の傘下に入ることとなった[15]。
バブル崩壊後の消費低迷や郊外のショッピングセンターとの競争による中心市街地の小売売上の低迷に加えて、僅か数キロの海を隔てて向かい合う北九州市の小倉地区の井筒屋、コレット、リバーウォーク北九州などとの競争の激化や高速バスの発達に伴う福岡市などへの消費流出に苦しみ、1997年(平成9年)2月期には売上高284.21億円[13]だったのが、2000年(平成12年)2月期には255.55億円[13]、2012年(平成24年)2月期には179.74億円[11]と落ち込み、他の地方百貨店と同様に売上はピーク時に比べて大きく減少しているが、利益面で見ると2012年(平成24年)2月期で営業利益4.90億円、経常利益4.04億円、当期純利益2.05億円[11]と1997年(平成9年)2月期の経常利益4.90億円[13]に比べて大きく落ち込まない水準を確保している。
現在
編集2019年(令和元年)5月8日、大丸松坂屋百貨店の親会社であるJ.フロント リテイリングが、法人としての下関大丸を大丸松坂屋百貨店に吸収合併させることを発表した[18]。合併日は2020年(令和2年)3月1日で、同日付で大丸松坂屋百貨店の直営店となり店舗名は「大丸下関店」となった[19]。大丸松坂屋百貨店は下関店を地方郊外店改革のモデル店舗として位置付け、直営化に併せて約10億円を投じて全館リニューアルを実施[20]。全国2店舗目となる東急ハンズの新業態「プラグスマーケット」や、山口県内では初となる「アインズ&トルペ」「ホワイトクロゼット」などを導入、一部フロアでは定期賃貸借契約を活用して大丸松坂屋百貨店初のニトリなど大型テナントを誘致し、同年3月23日にグランドオープン[19][20]。同年10月10日には、百貨店では全国初となるスタートアップ拠点「JOIN083(ジョイン・ゼロハチサン)」がオープンした[8][9][21][22]。
脚注
編集- ^ a b c 『J.フロント リテイリング Annual Review 2011』(レポート)J.フロント リテイリング、2011年7月9日。
- ^ a b c d 下関大丸五十年史編集委員 編『下関大丸五十年史』下関大丸、2001年2月。全国書誌番号:20255325。
- ^ 『国土審議会調査改革部会 第4回国際連携・持続的発展基盤小委員会配付資料 人口減少下での活力ある地域社会と二層の広域圏形成に資する国土基盤の現状と課題(資料編)』(レポート)国土審議会調査改革部会、2000年6月。
- ^ a b c d e f g 『流通会社年鑑』2003年版、日本経済新聞社、2002年12月20日、39-40頁、全国書誌番号:00053672。
- ^ a b c 高田泰 (2019年12月22日). “下関大丸、来春から直営の大丸下関店に 店内を大幅リニューアル”. 財経新聞. 財経新聞社. 2020年3月2日閲覧。
- ^ 『出張所の閉鎖・閉店のお知らせ』(プレスリリース)株式会社下関大丸、2019年12月1日 。[リンク切れ]
- ^ “フロアガイド”. 大丸下関店. 2021年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月13日閲覧。
- ^ a b “起業やビジネス マッチング拠点/大丸下関店に10月オープン”. 山口新聞 電子版 (2020年6月23日). 2021年5月10日閲覧。
- ^ a b “大丸下関店にビジネス拠点/「Join083」オープン ワーキングスペースやスタジオ機能”. 山口新聞 電子版 (2020年10月11日). 2021年5月10日閲覧。
- ^ 「下関大丸新社長に西阪氏」『山口新聞』みなと山口合同新聞社、2012年1月28日。
- ^ a b c d 『平成24年2月期 業績説明資料』(レポート)J.フロント リテイリング、2012年4月10日。
- ^ 「「大丸下関店」来月23日新装オープン」6面『やまぐち経済』、『山口新聞』2020年2月21日、朝刊。
- ^ a b c d 『未上場百貨店の売上高、3年前に比べ8割がダウン ~57社中、48社の売上高が減収~』(レポート)帝国データバンク、2001年。
- ^ 「『商戦』戦国時代へ 下関 ニチイ、エムラ進出 ショッピングセンターも 受けて立つ大丸」『山口新聞』みなと山口合同新聞社、1970年10月2日。
- ^ a b c 「林兼産業、下関大丸株を全譲渡」『山口新聞』みなと山口合同新聞社、2001年8月29日。
- ^ a b c 「WEEKLY DIGEST 下関大丸 新社長に河辺顧問が就任」『財界九州』第42巻第11号、財界九州社、2001年11月、国立国会図書館サーチ:R100000002-I000000037674-i6936982。
- ^ 「ベイスターズ優勝で、お祭りムード一色」『山口新聞』みなと山口合同新聞社、1998年10月10日。
- ^ “下関大丸、大丸松坂屋の直営に 20年3月に吸収合併”. 日本経済新聞. 日本経済新聞社 (2019年5月9日). 2020年3月2日閲覧。
- ^ a b “「大丸下関店」スタート:大丸松坂屋直営、改装進む”. 山口新聞 電子版. みなと山口合同新聞社 (2020年3月2日). 2020年3月2日閲覧。
- ^ a b “下関大丸が全館改装、3月23日にオープン”. 日本経済新聞. 日本経済新聞社 (2020年2月21日). 2020年2月22日閲覧。
- ^ “山口)大丸下関店に起業家支援拠点、今秋オープンへ”. 朝日新聞デジタル (2020年6月25日). 2021年5月10日閲覧。
- ^ “大丸下関店 創業支援施設、秋に開設 新ビジネス起業の拠点へ /山口”. 毎日新聞 (2020年7月28日). 2021年5月19日閲覧。