イル=ド=バ
イル=ド=バ (Île-de-Batz、ブルトン語:Enez-Vaz)は、フランス、ブルターニュ地域圏、フィニステール県のコミューン。ロスコフと向かい合う島、バ島にある。
Île-de-Batz | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ブルターニュ地域圏 |
県 (département) | フィニステール県 |
郡 (arrondissement) | モルレー郡 |
小郡 (canton) | サン=ポル=ド=レオン小郡 |
INSEEコード | 29082 |
郵便番号 | 29253 |
市長(任期) |
ギィ・カビオシュ (2008年 - 2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes du Pays Léonard |
人口動態 | |
人口 |
506人 (2012年) |
人口密度 | 158人/km2 |
住民の呼称 | Batziens |
地理 | |
座標 | 北緯48度44分43秒 西経4度00分35秒 / 北緯48.745278度 西経4.009722度座標: 北緯48度44分43秒 西経4度00分35秒 / 北緯48.745278度 西経4.009722度 |
標高 |
平均:m 最低:0m 最高:23 m |
面積 | 3.2km2 |
公式サイト | Site officiel de la mairie |
地名の由来
編集満足のいく語源は発見されていない[1]。古くは島であった、ロワール=アトランティック県沿岸の町、バ=シュル=メールと同じである。ブルトン語の bazh や vazh が「杖」を意味するため、聖ポル・オレリアン(fr)の巡礼者杖を示すという解釈は、風変わりな思いつきであろう[2]。
地理
編集バ島はポナン諸島の1つである。ロスコフの沖合2マイルに位置する。島の長さは3.5km、幅は1.5kmである。島を一周すると10kmである。島は、強い海流が優勢な狭い水道で本土から切り離されている。メキシコ湾流の恩恵を受けて、温暖な海洋性気候である。そのために多様で品質の良い野菜栽培が可能である。
歴史
編集伝説によると、ウェールズ出身の福音伝道者、聖ポル・オレリアンは525年に島に上陸し、『穴のヘビ』と呼ばれ、住民を脅かしていたドラゴンを退治した。ポル・オレリアンは、ドラゴンが自ら海へ飛び込むようにさせたのである。彼は530年頃に、島に修道院を建てた。
イル=ド=バ教区は、サン=ポル=ド=レオン司教区のもとにあるレオン助祭区を構成していた。
9世紀、ヴァイキングがバ島に本土への足がかりとして前哨基地を築いた。その後14世紀から18世紀初頭にかけ、イングランド軍が島を複数回荒らした。18世紀から19世紀、男たちは全員が海で働き、女たちは陸で働いていた。カボタージュの減少と、レオン地方北部で行われている園芸農業が島にも導入され、19世紀後半に島は劇的に変化を遂げた。
1388年、アランデル伯率いるイングランド軍がバ島を攻略した。『1000人の武装兵と300人の射手を含んだかなりの艦隊』で、『全てが略奪され尽くした後に、火が放たれた。イングランド軍は同様のやり方でウェサン島、レ島、オレロン島を襲い、フランス人全員と防衛にまわったブルトン人全員を探索した。』[3]
海藻
編集19世紀半ばの文書に記されているように、バ島住民にとって海藻を収穫して焼くことは、重要な経済活動だった。バ島とカロ半島の住民は、海藻を乾燥させ、自家用の燃料にしていた。住民たちは細心の注意を払って灰を作り、農業用に売買したが、純粋な状態のままの灰ではない。燃やした牛糞と海藻灰を混ぜ合わせ、沿岸の住民はそれを太陽光の下で乾燥させてから、燃料にしていた。最も混ぜ物が少ない海藻灰は、したがって最も評判が高く珍重されていた、バ島産のものだった。カロ半島産の海藻灰は、純粋に海藻灰だけでできてはいなかった。カロ半島産の海藻灰は、半島で産出される黒っぽい大量の土と混ぜられたので、価格と特徴は劣った。5月末から6月上旬までモルレーやペンゼの市場で海藻やコンブの灰が売られ、シザン郡やサン・テゴネックの農夫たちがソバ栽培に用いた[4]。
海藻は動物の飼料にも用いられた。『バ島、プルエスカ、プルガステルでは、ウマ、雌牛、ブタが海藻の一種を好むという結果が出た。海藻はブルトン語でBezin trouc'hといった[5]。(別の種類の海藻である)Bezin teleskは胸部疾患の特効薬だとして、島民はハーブティーを製造していた[6]。』
人口
編集1793年 | 1800年 | 1851年 | 1901年 | 1954年 | 2005年 | 2012年 |
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805 | 1 809 | 1 174 | 1 291 | 1 088 | 594 | 506 |
文化遺産
編集- ジョルジュ・ドラゼル庭園(fr)
- 1897年、パリ出身の保険業者ジョルジュ・ドラゼルにより創設された。1937年に土地が売られ、庭園は荒廃したが、1989年から有志により再建が始められ、1997年には沿岸保護機構が土地を買い戻した。現在、世界中の植物が1700種以上栽培され、ヤシの珍しいコレクションも展示されている。
- 聖アンヌ礼拝堂
- この礼拝堂は、聖ポル・オレリアンが創設し、9世紀にヴァイキングにより破壊された修道院の跡地に建てられた。現在の建物は、11世紀末から12世紀に作られたが、中世の終わりに島の東部を覆った砂のために見捨てられた。
- ノートルダム・デュ・ボン・スクール教会
- 1873年に墓地の跡地に建てられた。聖ポル・オレリアンのものと言われるストラや7世紀の東洋の織物、17世紀の聖ポル・オレリアンの木版画などを所有している。
- 灯台
- 1836年に建てられた。高さ44m。
- 蛇の穴
- 海岸から数m先に横たわる大岩。聖ポル・オレリアンがストラを使い、島を荒らすドラゴンを海に突き落としたという伝説が残る。
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ジョルジュ・ドラゼル庭園(対岸はロスコフ)
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聖アンヌ礼拝堂跡
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ノートルダム・デュ・ボン・スクール教会
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灯台
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蛇の穴
交通
編集イル=ド=バ関連会社が、ロスコフから年間を通じて島に連絡船を運行している。イル=ド=バ関連会社は、フィニステール海上輸送会社と、アルモール・エクスキュルション会社、マリティーム・アルメン会社の3社からなる。季節便として、プルガスヌ、ロキレック、トレブルダン、カランテック、モゲリエックからの便がある。季節によっては、モルレー湾ツアー、バ島ツアー、モルレー川遊覧といったツアーが組まれる。
島の往来可能な港は、南海岸に位置するPorz Kernok港である。岩に囲まれていてほんのわずかしか係留場所がない、島の北岸にアクセスすることは不可能である。
脚注
編集- ^ B. Tanguy, Dictionnaire des noms de communes, trèves et paroisses du Finistère, origine et signification, Ar Men/Chasse)Marée, 1990, p. 38.
- ^ Jean-Marie Cassagne et Mariola Korsak, Origine des noms de villes et villages - Loire-Alantique, Saint-Jean-d'Angély, Éditions Boudessoules,2002, 287 p. (ISBN 2-913471-45-5), p. 17
- ^ Dom Lobineau, Histoire de Bretagne, 1707
- ^ Jean-Marie Éléouet, "Statistique agricole générale de l'arrondissement de Morlaix",1849, Brest, consultable http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k1257176/f105.image.r=Taul%C3%A9.langFR
- ^ Le goémon qu'on ramasse sur le rivage était appelé en breton Bezin toun
- ^ Mauriès, Recherches historiques et littéraires sur l'usage de certaines algues, "Bulletin de la Société académique de Brest", 1874, consultable http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k2075488/f61.image.r=Molene.langFR
- ^ "Journal télégraphique" du 25 octobre 1894, consultable http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k5575562h/f33.image.r=Molene.langFR
- ^ Des villages de Cassini aux communes d'aujourd'hui sur le site de l'École des hautes études en sciences sociales
- ^ Fiches Insee - Populations légales de la commune pour les années 2005, 2012