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芥川賞
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'''青野 聰'''(あおの そう、[[1943年]][[7月27日]] - )は、日本の[[小説家]]、元[[多摩美術大学]]教授。
==来歴==
[[東京都]]出身。文藝評論家[[青野季吉]]と松井松栄の三男として生まれる。季吉は妻みづほがいた。2歳で母を喪い、継母に育てられる。[[1960年]]青野家に入籍。[[1966年]]、[[早稲田大学]][[第一文学部]]中退。ヨーロッパや北アフリカ諸国を放浪した後、[[1971年]]、「[[早稲田文学]]」誌上にてデビュー。[[1979年]]、

『母と子の契約』(『文藝』1978年11月号掲載)が[[1979年]]1月発表の第80回[[芥川龍之介賞]]候補となり、新世代の作家として注目される。『愚者の夜』(『文學界』1979年6月号掲載)が年7月発表の第81回芥川受賞。

[[1984年]]『女からの声』で[[野間文芸新人賞]]、[[1988年]]『人間のいとなみ』で[[芸術選奨文部大臣賞]]、[[1992年]]『母よ』で[[読売文学賞]]受賞。

[[文學界新人賞]]、[[三島由紀夫賞]]、[[平林たい子文学賞]]などの選考委員を務めた。1997年より2014年まで多摩美大教授。[[2008年]]、[[紫綬褒章]]受章。子供は男の子4人。長男、次男はそれぞれ違う母親である。
 
==著作==
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[[Category:早稲田大学出身の人物]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:多摩美術大学の教員]]
[[Category:1943年生]]
[[Category:存命人物]]