本間ゴルフ
株式会社本間ゴルフ(ほんまゴルフ)は、東京都港区に本社のある、ゴルフクラブの草分け的な老舗メーカーである。 かつては「パーシモン(persimmon:柿) といえば本間」というほどの抜群の知名度を誇り、木製ウッド全盛の時代、「ヒロホンマ」ブランドのクラブは、高級品としてゴルファーに絶大な人気を誇った。石原裕次郎が愛用したことでも有名であった。西部警察の山形ロケの舞台にもなった。
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場(過去ジャスダックに上場) |
略称 | 本間、ホンマ、HONMA |
本社所在地 |
108-0073 東京都港区三田3-11-26 |
設立 | 1959年2月18日 |
業種 | 製造業 |
法人番号 | 5010401067921 |
事業内容 | ゴルフクラブ等スポーツ用品及び工業製品の製造販売 |
決算期 | 毎年3月末 |
外部リンク | www.honmagolf.co.jp |
略歴
1958年に横浜市で開業したゴルフ練習場を母体に、1959年「有限会社鶴見ゴルフセンター」(その後1972年「有限会社ホンマ」に変更)を設立。1963年に「有限会社本間ゴルフクラブ製作所」を設立してクラブの製造・販売を開始する。
1978年に本間ゴルフクラブ製作所、ホンマをそれぞれ株式会社に昇格させる。1990年にそれぞれ「本間ゴルフ製作所」「本間ゴルフ」に変更し、1992年両社とゴルフ場開発の本間ゴルフ興産を吸収合併し一本化する。
1973年、日本のゴルフクラブメーカーとしてはじめてのカーボンシャフト(ブラックシャフト)クラブを販売開始。1978年には自社製造も開始した。また創業者が血を引く豪商本間氏のお膝元山形県酒田市に専用工場を建設し、製造・販売の一貫体制が整備された。
このころのウッドは未だ木製が主流の時代であり、本間は「パーシモンのウッドでは右に出るものはない」とまで言われた。性能はもとより特徴的な打音で多くのゴルファーを魅了し、プロゴルファーにもファンが多かった。
1995年には株式の店頭公開も果たしたが、時代はすでにチタンなどのメタル(金属製)ウッドが全盛の時代に突入していた。飛距離の点で有利なメタルウッドに人気が集まる中、パーシモン主流の本間はこの分野で完全に出遅れたため、その後の業績に深刻な影響を与えた。
また、2001年1月には創業者である本間敬啓が脱税で逮捕されたほか、 ゴルフ場経営などの多角化を推し進めたことも災いして資金繰りが悪化、 ついには2005年6月、東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請、経営破綻した。 株式はジャスダックに上場していたが、これを受けて2005年7月に上場廃止となった。
経営破綻後
- 2006年11月、創業者本間敬啓の息子で社長の秀一が、酒田工場放火の容疑で山形県に逮捕された。現在は、創業家を離れ再建されている。
2007年4月1日に李孝氏が社長に就任。 それまでの「裕福なシニアクラス」が使うクラブのイメージを一新しようと 比較的リーズナブルな価格のモデル「アスポート」シリーズをリリースする。