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延岡城(のべおかじょう)は中世に築かれた平山城である。(別称:縣(あがた)城、県城、亀井城)
高橋元種が1601年(慶長6年)に築城を始め1603年(慶長8年)に落成し、延岡藩の政庁となった(高橋元種築城の以前に土持氏によって天平時代に築城されていたものを改修したとの説もあり)。
高橋元種は1613年に罪人を匿ったとして改易され、その後は有馬氏・三浦氏・牧野氏と続き、内藤氏支配で幕末を迎えた。天守は1683年に焼失し、以後再建はされなかった。
延岡城には、ある石をはずすと一気に全壊し、一度に千人の敵兵を殺すことができるという石垣があり、「千人殺し」と呼ばれている。
天主台跡に鐘付き堂があり、現在も1日に6回、市民に時刻を告げている。歌人若山牧水もその様子を歌に詠んでいる。