北一輝

日本の思想家・社会運動家・国家社会主義者(1883−1937)

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北 一輝(きた いっき、本名:北 輝次(きたてるつぐ)、明治16年(1883年4月3日 - 昭和12年(1937年8月19日)は、昭和初期の思想家・社会運動家。

北一輝
北一輝
通称 片目の魔王
生年 1883年4月3日
生地 新潟県佐渡島両津湊町
没年 1937年8月19日
活動 中国の革命運動
国家改造運動
二・二六事件
所属 中国革命同盟会
裁判 死刑
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本名は北輝次(のちに輝次郎)であるが、中国の革命運動に参加し中国人革命家との交わりを深めるなかで、いつしか中国風の名前「北一輝」を名乗るようになったという。尚、彼の名前は、普通「きたいっき」と読まれているが、正しくは「ほくいっき」と読む。右目は義眼。このことから「片目の魔王」の異名をとる。

年譜

  • 1883年(明治16年)4月3日新潟県佐渡島両津湊町(旧両津市、現佐渡市)の酒造業・北慶太郎と妻リクの長男輝次(のち輝次郎)として生まれる。父慶太郎は初代両津町長を務めた人物。弟は衆議院議員北昤吉
  • 1897年(明治30年)旧制佐渡中学校(新制:佐渡高校)に1回生として入学。3年後、目の病気となり退学。
  • 1901年(明治34年)7カ月、新潟の眼科院に入院する。上京し幸徳秋水堺利彦平民社の運動にも関心を持ち、社会主義思想に接近する。
  • 1903年(明治36年)父が死去。10月「輝次郎」と改名した。『佐渡新聞』紙上に日露開戦論、国体論批判の論文を発表する。弟北昤吉早稲田大学に入学すると、その後を追うように上京、同大学の聴講生となる。有賀長雄穂積八束といった学者の講義を聴講し、著書を読破すると、さらに図書館に通いつめて社会科学思想関連の本を読んで抜き書きをつくり、独学で研究を進める。
  • 1906年明治39年)刊行の処女作『国体論及び純正社会主義』(『國體論及び純正社會主義』)刊行。内容は法学哲学政治学経済学生物学など多岐に渡るが、それらを個別に論ずるのではなく、統一的に論ずることによって学問の体系化を試みた所に特徴があった。即ち、北一輝の「純正社会主義」なる理念は、人間と社会についての一般理論を目指したものであった。その書において最も力を入れたのが、通俗的「国体論」の破壊であった。同書は、天皇機関説の考え方を基礎として天皇の神聖視を支配の根拠とする藩閥官僚政治への厳しい批判をおこなっていたため、刊行後ただちに発禁処分を受けることになった。
その失意のなかで、北は宮崎滔天らの革命評論社同人と知り合い、交流を深めるようになり、中国革命同盟会に入党、以後革命運動に身を投じる。
  • 1911年(明治44年)淵ヤス(すず子)と知り合う。(宣統3年)10月、宋教仁からの電報により黒龍会『時事月函』特派員記者として上海に行き宋教仁のもとに身をよせる。
  • 1913年(大正2年、中華民国2年)3月22日、農林総長であった宋教仁が上海北停車場で暗殺され、その犯人が孫文であると新聞などにも発表したため、4月上海日本総領事館の総領事有吉明に3年間の退清命令を受け帰国した。この経験は『支那革命外史』としてまとめられ出版される。
  • 1916年(大正5年)淵ヤスと入籍、上海の北四川路にある日本人の医院に行った。このころから一輝と名乗る。
  • 1919年(大正8年、中華民国8年)そこに出入りしていた清水行之助、岩田富美夫らが日華相愛会の顧問を約40日の断食後に『国家改造案原理大綱』(ガリ版47部、『日本改造法案大綱』と1923年に改題)を書き上げていた北に依頼した。
  • 1920年(大正9年、中華民国9年)年8月に上海を訪問した大川周明満川亀太郎らによって帰国を要請され、12月31日に清水行之助とともに帰国。
  • 1921年(大正10年)1月4日から猶存社の中核的存在として国家改造運動にかかわるようになる。
  • 1923年(大正12年)猶存社が解散。「日本改造法案大綱」が改造社から、出版法違反なるも一部伏字で発刊された。これは、二・二六事件の首謀者である青年将校の村中孝次磯部浅一栗原安秀中橋基明らに影響を与えたと言われている。
このころ東京・千駄ヶ谷、後に牛込納戸町に転居し母リクの姪・従姉妹のムツを家事手伝いとして暮らした。
宮本盛太郎らの研究によれば、北は計画自体を知っていたものの、時期尚早であると慎重な態度を取っており、指揮等の直接関与は行っていなかったとされる。真崎甚三郎大将ら皇道派の黒幕が予備役退役の処分で済んだのと較べると極めて重い処分である。
事件の際に「マル(金)は大丈夫か」と青年将校の拠点に電話した音声がレコードとして残っている。

三井財閥とのつながり

北は、『国家改造案原理大綱』執筆を開始する時期ごろから、三井財閥から年額2万円(現在に換算すると1億円前後)の資金提供を受けるようになり、この資金で、中国の人脈を維持し、在野の右翼を食客として養い、青年将校に飲食遊興をさせて自らのシンパとしていた。また、自身も極貧から転じて、実際には豪奢な生活に耽った。さらに、たびたび企業幹部、政治家などに憂国談義を装って面会を強要し、そのたびに金を受け取っていたと言われる。(長谷川義記、松本清張など)

死後の評価

かつては右翼思想家として評価されることが多かったが、『国体論及び純正社会主義』は社会主義者河上肇福田徳三に賞賛されていた。『日本改造法案大綱』はクーデターと憲法停止が特色と見られているがそれはあくまで過渡的なものであり、強権による改革の後には社会民主主義的な政体の導入を想定していた。こういった点は戦後のアメリカによる日本占領政策と共通する。このように北は単純な国粋主義者とは括れない側面をもっていて、久野収は「ファウル性の大ホームラン」と北を評している。

また、政治家の岸信介は、北の「国体論」などから強い影響を受けていたという。

宗教

法華経読誦を心霊術の玉照師(永福寅造)に指導され、法華経に傾倒し日常大音声にて読経していたこともよく知られている。北一輝は龍尊の号を持つ。弟の昤吉によると「南無妙法蓮華経」と数回となえ神がかり(玉川稲荷)になったという。

昭和4年4月 - 昭和11年2月28日に妻のすず子が法華経読誦中神がかった託宣を自ら記録したもの。

北の日蓮理解や法華経帰依の契機などは、彼の天皇観とともに依然として定説がない。

著作史料

  • 『北一輝思想集成』(国体論及び純正社会主義・日本改造法案大綱・ヴェルサイユ会議に対する最高判決・『支那革命外史』序・ヨッフェ君に訓ふる公開状・ 対外国策に関する建白書・日米合同対支財団の提議・二・二六事件調書・遺書・絶筆) 書肆心水、2005年8月。ISBN 4-902854-07-4
  • 神島二郎解説『北一輝著作集』第1巻(国体論及び純正社会主義)、みすず書房、1959年3月。ISBN 4-622-02021-1
  • 野村浩一・今井清一解説『北一輝著作集』第2巻(支那革命外史・国家改造案原理大綱・日本改造法案大綱)、みすず書房、1959年7月。ISBN 4-622-02022-X
  • 松本健一・高橋正衛編『北一輝著作集』第3巻(論文・詩歌・書簡-関係資料雑纂)、みすず書房、1972年4月。ISBN 4-622-02023-8
  • 『支那革命外史 抄』(『中公文庫』)、中央公論新社、2001年8月。ISBN 4-12-203878-2

関連項目

関連書

  • 岡崎正道「魔王の相貌」、岡崎正道『異端と反逆の思想史-近代日本における革命と維新』、ぺりかん社、1999年1月。
  • 岡本幸治『北一輝-転換期の思想構造』(『Minerva21世紀ライブラリー』20)、ミネルヴァ書房、1996年1月。
  • 川合貞吉『北一輝』、新人物往来社、1972年12月。
  • 粂康弘『北一輝-ある純正社会主義者』、三一書房、1998年9月。
  • 黄自進「北一輝の辛亥革命・五四運動観-吉野作造との対比を中心に」、東京外国語大学『クヴァドランテ(Quadrante)』第1号、1999年3月。
  • 佐藤美奈子「「忠君」から「愛国」へ-北一輝の進化論」、東京大学大学院『相関社会科学』第8号、1999年3月。
  • 佐藤美奈子「「東洋」の出現-北一輝『支那革命外史』の一考察」、政治思想学会『政治思想研究』第1号、2001年5月。
  • 佐藤美奈子「北一輝の「日本」-『国家改造案原理大綱』における進化論理解の変転」、『日本思想史学』第34号、2002年9月。
  • 志村正昭「「佐渡が島のぼんやり」から「富豪革命家」へ-岩崎革也宛北一輝書簡にみられる借金懇願の論理と心理」、石塚正英編『二〇世紀の悪党列伝』(『社会思想史の窓』第123号)、社会評論社、2000年8月。ISBN 4-7845-0328-5
  • 高橋康雄『北一輝と法華経』(『レグルス文庫』71)、第三文明社、1976年12月。
  • 滝村隆一『北一輝-日本の国家社会主義』、勁草書房、1973年5月 ISBN 4326150203
  • 田中惣五郎『日本ファッシズムの源流 -北一輝の思想と生涯-』白揚社 1949年
  • 田中惣五郎『北一輝-日本的ファシストの象徴』増補版、三一書房、1971年1月。
  • 田中真人・山泉進・志村正昭「岩崎革也宛書簡(一)-幸徳秋水(その1)・北一輝・大石誠之助・森近運平・石川三四郎・西川光次郎・西川文子・赤羽一・座間止水・一木幸之助・前田英吉・丹後平民倶楽部」、同志社大学『キリスト教社会問題研究』第54号、2005年12月。※史料紹介
  • 竹山護夫『北一輝の研究』(『歴史学叢書』)、名著刊行会、2005年1月。ISBN 4-8390-0325-4
  • 萩原稔「北一輝における「アジア主義」の源流-初期論説を中心に」、『同志社法学』第53巻第3号(通巻279号)、2001年9月。
  • 長谷川義記『北一輝』(『紀伊國屋新書』B-36)、紀伊國屋書店、1969年9月。
  • 藤本眞悟「北一輝の政治思想(I)-国体論の一考察」、『政治経済史学』第385号、1998年9月。
  • 藤本眞悟「北一輝の政治思想(II)-国体論の一考察」、『政治経済史学』第386号、1998年10月。
  • 松岡幹夫「北一輝における信仰と社会思想の交渉-ファシズムと宗教の関係を考察する手がかりとして」、東京大学大学院『相関社会科学』第12号、2003年3月。
  • 松本健一『北一輝論』(『講談社学術文庫』)、講談社、1996年2月。ISBN 4-06-159214-9
  • 松本健一『若き北一輝』(『評伝北一輝』1)、岩波書店、2004年1月。ISBN 4-00-026476-1
  • 松本健一『明治国体論に抗して』(『評伝北一輝』2)、岩波書店、2004年2月。ISBN 4-00-026477-X
  • 松本健一『中国ナショナリズムのただなかへ』(『評伝北一輝』3)、岩波書店、2004年3月。ISBN 4-00-026478-8
  • 松本健一『二・二六事件へ』(『評伝北一輝』4)、岩波書店、2004年6月。ISBN 4-00-026479-6
  • 松本健一『北一輝伝説』(『評伝北一輝』5)、岩波書店、2004年9月。ISBN 4-00-026480-X
  • 宮本盛太郎編『北一輝の人間像-『北日記』を中心に』(『有斐閣選書』)、有斐閣、1976年8月。
  • 村上一郎『北一輝論』、三一書房、1970年2月。
  • 渡辺京二『北一輝』(『朝日選書』)、朝日新聞社、1985年4月。ちくま学芸文庫 2007年
  • G・M・ウィルソン(岡本幸治訳)『北一輝と日本の近代』、勁草書房、1971年12月(George Macklin Wilson, Radical Nationalist in Japan: Kita Ikki, 1883-1937, Harvard University Press, 1969年)
  • 松本清張『北一輝論』講談社、1978年(講談社文庫)のち全集(文藝春秋)
  • 手塚治虫『一輝まんだら』

外部リンク