マイネヌーヴェル
日本の競走馬
マイネヌーヴェルは、日本の競走馬、繁殖牝馬。ラフィアンターフマンクラブにおける募集価格は1600万円(16万円×100口)。
マイネヌーヴェル | |
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2003年4月13日 阪神競馬場 | |
欧字表記 | Meine Nouvelle |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 黒鹿毛 |
生誕 | 2000年3月17日(24歳) |
死没 | (繁殖牝馬) |
父 | ブライアンズタイム |
母 | マイネプリテンダー |
母の父 | Zabeel |
生国 | 日本(北海道静内町) |
生産者 | ビッグレッドファーム |
馬主 | サラブレッドクラブ・ラフィアン |
調教師 | 稲葉隆一(美浦) |
競走成績 | |
生涯成績 | 22戦3勝 |
獲得賞金 | 1億2665万6000円 |
経歴
デビューは2002年11月10日、東京競馬場の2歳新馬戦。3着に敗れるが、2戦目で初勝利を挙げると、同年12月のホープフルステークスで連勝。一息入れた後の翌2003年3月22日のフラワーカップでほぼ最後方から直線一気で差し切り3連勝を達成するとともに重賞初勝利。一躍クラシックの有力馬に名乗りを上げた。しかし、桜花賞、優駿牝馬ともに末脚不発でそれぞれ10着、11着と大敗。その後関東オークスを軽い不安のため回避し、放牧に出されたが、その後、屈腱炎と判明し、長期休養を余儀なくされた。復帰戦は2004年4月25日、第1回目の福島牝馬ステークス。直線末脚を爆発させ、惜しい2着となり、復活したかに思われた。しかし、その後は中山金杯の2着を最高にレースに勝てず、2005年12月4日ターコイズステークスの11着を最後に現役引退、繁殖牝馬となった。2020年に父ゴールドシップの産駒を出産後、永眠[1]。
競走成績
中央競馬22戦3勝。フラワーカップ (GIII)
繁殖記録
血統表
マイネヌーヴェルの血統(ロベルト系/Nasrullah 6.25% 5 x 5 ) | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ロベルト系 |
[§ 2] | ||
父 *ブライアンズタイム Brian's Time 1985 黒鹿毛 |
父の父 Roberto1969 鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to | |
Nothirdchance | ||||
Bramalea | Nashua | |||
Rarelea | ||||
父の母 Kelley's Day1977 鹿毛 |
Graustark | Ribot | ||
Flower Bowl | ||||
Golden Trail | Hasty Road | |||
Sunny Vale | ||||
母 *マイネプリテンダー 1995 黒鹿毛 |
Zabeel 1986 鹿毛 |
Sir Tristram | Sir Ivor | |
Isolt | ||||
Lady Giselle | Nureyev | |||
Valderna | ||||
母の母 Giladah1986 黒鹿毛 |
Mill Reef | Never Bend | ||
Milan Mill | ||||
Nouvelle Star | Luskin Star | |||
Bonne Nouvelle F-No.6-b | ||||
母系(F-No.) | 6号族(FN:6-b) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Nasrullah5×5 | [§ 4] | ||
出典 |
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血統背景
外部リンク
- 所属馬一覧(所属馬情報)マイネヌーヴェル - ラフィアンターフマンクラブ
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ、Racing Post エラー:
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が未定義です。(参照1・参照2)
- ^ ラフィアン募集馬カタログ「マイネヌーヴェルの20」の血統と特長に記載。